小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

私の半生 ①自然の中の原風景と父の死

まるで私小説のように長くなりましたが、今悲しみを抱えている必要な人に届くように、シリーズで書いてみようと思います。



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私は、転勤族の会社員の父と専業主婦の母の間に長女として生まれ、3つ離れた弟との4人家族でした。

小学校3年までの間に、愛媛、大阪、東京と転々とし、
勉強と絵を描くのは得意なので優等生だけど、走るのが苦手な私は、仲の良い友達はいるけれど、さほど活発な子どもではありませんでした。

しかし、女の子は成長が早く、しかも私は人の気持ちや様子をよく観察する子で、下に弟もいたので、
私は、両親に対しては、ませた口をきく、内弁慶な子どもだったと思います。


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活発な方ではないとはいえ、私は、小学校3年まで、自然がいっぱいの大阪の郊外で育ち、山や川で、朝から晩まで遊んでいました。

このため、東京に転校した当初は、山のない住宅ばかりの景色や、決して綺麗とはいえない川、美味しくない空気に失望し、エネルギー不足に陥っていたように思います。

私は、大人になった今でも、自然の中に帰りたい、と思うことがしばしばあります。

今思えば、あの大阪の鮮烈な緑の山々や蛍のいる清らかな川は、私の原風景だったのかもしれません。

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東京に転校し、ようやく都会に慣れてきた翌々年秋、父が突然、他界しました。
まだ30代後半で、出張先で突然倒れました。脳溢血だったと聞いています。

学校で、5時間目の授業中だったと思いますが、先生から、父が倒れたのですぐに自宅に帰るよう言われて、弟を連れて帰りました。

自宅には、いるはずの母はおらず、母の姉(伯母)がいました。

母は、父の出張先に向かったとのことでした。


伯母と弟と私は、母からの連絡を待ちました。

夕方か夜の早い時間に、自宅の電話が鳴りました。
母であろうことは予測がついていました。

伯母が出ました。


「えっ!?死んだ!?」


伯母の言葉に、心臓を撃ち抜かれた思いでした。
40数年生きてきて、後にも先にも、あんなに衝撃を受けたことはありません。
懲戒請求なんて、あの時に比べれば軽い軽い(笑)

子どもの心は、本当に柔らかいんだな、と今でも思います。


その後の数日、そして数年のことは、あっという間だったような、もどかしいほどゆっくりだったような。

早く違う世界に行きたかった。
この目の前の現実と思っているものは、パラレルワールドで、本当は、父の生きている本物の世界があるんじゃないかと空想していました。

大学生くらいまで、なぜか、父が亡くなっていることを友人達に言えませんでした。

働き始めた母が「仕事が楽しい」と言っているのを見て、3人でも笑いの絶えない家庭があって、
表面上は、自分でも父が亡くなったことなど忘れてしまったと思っていました。


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母を見ていて、また、私自身も感じたことですが、
人は、身近な人を亡くすと、自分のせいではないかと思ってしまうことがあるようです。


私も例外ではなく、私が悪い子だから、父は亡くなったのではないかと思っていました。

根拠もありました。


父が亡くなる2日前の日曜日、私は、父に、五島プラネタリウムに連れて行って~!!と駄々をこねました。
父は、その時、疲れているから、と乗り気ではありませんでしたが、私達兄弟を渋谷に連れて行ってくれました。

その上、私は、父にケーキをおねだりしました。
父は、床屋に行こうと思っていたのに~、と言いながら、行かずに、ケーキを買ってくれました。

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こうして文章にすると、大したことではないように思えますが、
私は、割と最近まで、真剣に、私がワガママを言ったから、父が亡くなってしまったのでは、と思っていました。


しかし、これまで私がこの話をした、ごく少数の人たちは、
様々な捉え方で、私の罪悪感を払拭してくれました。


そもそもワガママと脳溢血の因果関係はないこと。


かりに何らかの寄与があったとしても、父が私のせいで亡くなったなどと思うはずがないこと。



そして、父は、きっと、最後に娘のワガママをきいてから亡くなったから、幸せだと思っているだろうこと。
断ったまま亡くなった方が、きっと父は後悔したであろうこと。


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いずれも、父の私への愛からの視点でした。


喪失が辛く、罪悪感を抱えきれなくなった私は、いつの間にか、父は私を愛していなかったから、私の目の前から居なくなったんだ、
という、とんでもない極論を正しいと思い込んでいた時期がありました。
それも割と最近まで。


でも、生前の父のことを思い返すと、どう考えても、父は私を愛していたのです。

そのことに、長い間、目をつぶってきました。


そして、父には愛されてなかった、だから失っても平気、ということにでもしないと失ったことに耐えられないくらい、


私も、父を愛していた。


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ようやく最近、
父は私を愛していたこと、
私は父を愛していたことが、腑に落ちたのです。


死人に口なしですから、本当の事実は、確かめようがありません。


でも、私にとっての真実は、私の捉え方次第で変わる。



全ての物事は、ポジティブにもネガティブにも捉えられます。



仕事柄、厳しくネガティブを見つめる視点は必須だけれど、



どんなときも、この世界は、美しくて優しいことを、忘れずにいたい。

と思います。



大丈夫。
悲しいのは、それだけ深く愛していたからですよ。