小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

私の半生 ③離婚、そしてがむしゃらへ。

私が青春時代にやりたいことにチャレンジしなかった主な理由は、

 

①がむしゃらに頑張ったのに失敗した時に傷つくのが怖かった。

②普通でいたい、目立ったり変わっていると攻撃されることが怖かった。

 

でした。

 

とにかく、怖かったのです。

父が亡くなった時の、世界が反転するような、そして実際に、転居転校して味わった、あんな怖さを2度と味わいたくなくて、安心安全を求めていたのだと思います。

 

書きながら思い出しましたが、

高校を卒業するくらいまでは、母までもいなくなったらどうしよう、と心のどこかにいつも怯えがありました。

そうなったら、私が弟を育てよう、とこっそり悲壮な決意をしていました。3つしか違わないけれど。

なんて良い姉だったのでしょう(笑)

 

18歳になったころに、ようやく、

これで何とか大人の仲間入りができた、

もし母が亡くなっても弟を大学まで面倒みるくらいはできるだろう。と思っていました。

 

 

🌻🌻🌻🌻

 

 

それくらい怖さを抱えていた私ですが、20代の初めの方から20代後半まで、元夫が傍に居てくれたことによって、

とても安定していたと思います。

 

元夫は、私が欲しくても得られなかったものを持っていました。

 

ひとことで言うと、育ちが良い。

西欧に駐在経験のある銀行員のお父様がいて、帰国子女で、

(私から見ると)心の葛藤が少なくて、

人当たりがとても良くて、人付き合いが上手。

人の良いところを見つけるのが上手く、深刻過ぎる場面では絶妙な笑いを提供できる。

 

私と、笑いのツボが合う。

彼も大切な友人を大学時代に亡くしていて、おそらく私が父を亡くしていることにシンパシーを感じた。

彼は大学受験に失敗したと思い込んでいたので、受験に劣等感のない私を羨ましく思っていたかもしれません。

 

同じ会社なので共通の話題が多く、

そうでなくても、娯楽を一緒に楽しみ合える、

 

そんな私達でした。

 

🌻🌻🌻🌻

 

 

しかし、色々なことがあって、

私と彼は、3年3ヶ月で私が実家に帰り、その2年弱後、離婚しました。

 

生じた表面上の問題については、彼のプライバシーがあるので書きませんが、

 

抽象的にまとめると、

私も彼も、お互いに、心の深いところをさらけ出すことができなかったんだと思っています。

 

ありのままの自分を差し出す、勇気がなかった。

 

(ちなみに念のため、離婚後、私は元夫と会っていませんし、復縁の可能性は、私も(おそらくあちらも)ありません。)

 

🌻🌻🌻🌻

 

 

私は、夫婦の問題は、フィフティフィフティだと思っています。

私の例も例外ではありません。

 

離婚事件のクライアントに、「今は腑に落ちないと思いますが」と前置きをして、よくお話するのですが、

 

法律的には有責配偶者の概念があるし、

例えばDV等の場合には被害者の生命身体を緊急に守る必要があるけれども、

婚姻生活全般を見れば、その相手を選んだことも含めて、

どちらかが100パーセント悪いということはありません。

 

 

いや、正しいとか、悪いとかいうことではないんですよね。

 

 

単純に、自分にとって、その時必要な人を選んだというだけ。

「必要」は、ポジティブな意味合いもあれば、

一見ネガティブな意味合いもあるけれど、

それはその人が乗り越えられるし、人として成長するために乗り越える必要があったから、ネガティブなことが起こる。

 

 

まあ、離婚するときはパワーがいるから、自分も悪いかも?などと殊勝なことは言ってられないので、

クライアントの皆さまには、私が話した時点ではなかなか響きませんが。

 

 

🌻🌻🌻🌻

 

 

とにもかくにも、離婚が成立したとき、私は、31歳、無職でした。

 

何か資格を取らなきゃということで、30歳のころから、司法書士の勉強を始めていました。

 

そのころの私にとっては、「生きる手段=資格取得」だったのです。

 

幸い、母は、実家に私を受け容れてくれ、勉強を応援してくれました。

大学受験浪人することを気に病んでいたのに、こんなに大きな娘が出戻ってきて申し訳ないなあ、と思っていました。

でも、母は、何一つ私に文句を言うことなく、優しく受け容れてくれました。

 

 

しかし、司法書士試験は、

満を持して受験したにもかかわらず、不合格。

当時の司法書士試験は、択一式が大部分を占め、記述式の配点はごく僅かで、私は択一式の総合点では余裕で合格しているはずでしたが、記述式で不合格になったのです。

 

すっかり合格した気分で、

当時転職の合間だった友人達とタヒチに行ったり、

羽根を伸ばしまくっていた私には、大きなショックでした。

 

 

そう、「がむしゃらにやったのに、ダメだった。」

が遂にやって来たのです。

 

 

🌻🌻🌻🌻

 

 

そんな時、

大学時代のクラスメイトの親友が、私に、

「一緒にロースクールを受験しない?」と誘ってくれたのでした。


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15年ぶりの、火星大接近の日に。