小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

懐かしくて愛おしい気持ち。

ここ数日、久しぶりに母のことを書いていて、思い出しました。

 

ロースクール時代にも私はブログを書いていたのですが、

その1つの記事を転載したいと思います。

母が亡くなって1週間経っていない時に書いたものです。

 

 

🌻🌻🌻🌻

 

「37年目のラブレター」 2006.3.1

 

🌻🌻🌻🌻

 

 

私の母はお酒が大好きだった。(ええ、遺伝です。)

私が実家に帰ってきてからはしょっちゅう二人で晩酌をしていた。

そして、酔うとよく言っていた。


「私が死んだら、パパから結婚前にもらった手紙を棺に入れて。絶対中身は読んじゃだめ」

と。


私もいいオトナなので積極的に手紙を探そうとは思わなかった。

もちろん発見したら絶対に読んでやる、とは思っていた。

 

手紙は意外と簡単に見つかった。

弟がありかを知っていたのだ。

母は、私に教えたら読まれてしまうと思っていたのだろう。

 

手紙を読んだ。当たり前だ。

 

で、驚いた。


母がこんな人だったなんて。

 

手紙は、昭和44年から45年の二人が婚約したあたりからのもので、

母は東京勤務、父は岡山勤務の遠距離カップルだった。

双方の書簡が別々の箱に保管されていた。父の字は弟の字に似て汚かった。
それから、保存状態の良さに驚いた。ほとんど劣化していなかった。

 

そして中身は・・・・・・


恋愛初期における視野狭窄とのぼせの諸症状が顕著に現れていた。


えーっと、要は、バカップル。

そりゃあ誰にも読まれたくないわ。


死者の名誉毀損は虚偽の事実を摘示したのでなければ罰せられないけど、

母の名誉のため転載は自粛します 笑。

 

けど、そういえば昔、のろけられたことがあった。

私たちは、パパが亡くなったころ(結婚12年目くらい)でもずっと仲良しで、

子ども達が寝た後、よく近所の焼き鳥屋に手をつないで飲みに行っていたのよ、と。


母は、人生の後半をほとんど子どもと仕事のために費やして、

老後も満喫できず逝ってしまった、と思ってた。

 

でも違った。

 

きっと、父が「そろそろ飲もうよ」と迎えに来たんだ。

 

 

🌻🌻🌻🌻

 

 

再読したら、自分が、肩肘張って、明るく振る舞っていて、

何だか可愛らしい女の子だったんだなあ。と思いました。

(当時は34歳で、自分のことをもうおばさん、と思っていましたが、今の私から見たら若い女子です!笑)

 

そして、

母が60歳で、平均よりも早く亡くなってしまったのは、

父に会いに行ったんだ、という考えは、当時の私をずいぶんと慰めてくれました。

 

 

全く。仲が良いんだから。しょうがないなあ。って。

 

 

🌻🌻🌻🌻

 

 

大切な人を亡くした方も、

そうでない方も、

きっと、もう会うことができなくなってしまった人は、いることと思います。

 

お盆も近いことですし、

もう会うことができなくなった人たちを想うには、良いタイミングかもしれませんね。

 

そして、もし、できれば、

今のお気持ちを書き留めておくと、数年後に読み返した時に、またさらに、懐かしく、愛おしい気持ちになるかもしれません。

 

 

そんな気持ちになれる方が、増えますように。

 


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