家族と家事の担当範囲でケンカした。
友人を遊びに誘ったけれど、断られた。
仕事で上司や同僚と意見が対立した。
好きな人にフラれた。離婚した。
🌻🌻🌻🌻
些細なことから人生の重大事まで、
誰かと意見や希望が対立した時、
ついつい、私たちは、
「自分を否定された。」
と思ってしまいます。
そして、「自分が間違っていたから(足りなかったから)、こんなことになってしまった。」と自分を責めたり、
あるいは、
自己否定に自分の心が耐えられないときは、
「自分は間違ってなんかいない!悪いのは相手だ!」と、強く反発してしまったりします。
🌻🌻🌻🌻
自己否定が、悪いわけではありません。
「自分が足りなかった。」と思うことによって、もっと賢く、優しく、強くなれることもある。
例えば、私が、両親の死や、離婚や、弁護士の仕事を経験して、人の痛みを理解できるようになったように。
相手を責めることが悪いわけでもありません。
そうしなければならないほど心が痛んでいる時もあるし、
新しい何かを始める原動力になることもある。
例えば、私が、ロースクール受験を決意したように。
🌻🌻🌻🌻
でも、ですね。
お伝えしたいのです。
そもそも、
「間違っているんじゃない。違っただけ。」
だと。
このブログを読んで下さっている、私と似ているところのあるあなたはもちろん、
ムカつくことを言ってきたり、意地悪をしてきたりした昔の同級生も、
些細な行き違いで連絡を取らなくなった友人も、
自分が希望したほど心の距離が近くなれなくてお別れした友人や恋人も、
高い心の壁を作って「あのこと」については触れられないまま、2度と会えなくなってしまった家族も。
正しくも、間違っても、いない。
みんな、自分の人生を一所懸命に生きているだけ。
🌻🌻🌻🌻
本当は、
「みんな正しい。」
と言いたいのだけれど、
これまで、弁護士の仕事で、多くの犯罪や事故の被害者の方たちに接してきた経験から、
「みんな正しい」という言葉では、
救われない人びとがいるので、差し控えます。
正しさって、人を傷つけるんですよね。
必ず、他方に「正しくない」「加害者」を生み出すから。
そして、正しさは、「勝訴した」「正しいとされた」「被害者」側の人にさえも、
罪悪感を抱かせてしまうことがよくあります。
特に、根が優しい人は、二重に苦しんだり。
(このことは、追ってまた書きたいと思います。)
🌻🌻🌻🌻
だから、
みんな、違うだけ。
あなたは、間違っていない。
あの人も、間違っていない。
と、お伝えしたいのです。
古代文字の「龍」にそっくりの雲!
また写真が横に!笑笑