先ほど、誤って記事を途中投稿してしまいました。失礼致しました。
今日は、みなさまにご報告があります。
このブログを書き始めた大きな理由の1つであった、終結した訴訟の相手方本人からの懲戒請求案件について、
本日、私の代理人弁護士をお願いした元ボスより、相手方の不服申立ては「棄却」との決定がなされた、とのご連絡を頂きました。
ご心配や励ましの お言葉を頂きましたみなさま、誠にありがとうございました。
いくらストレッチをしてもリンパマッサージをしても肩甲骨を回しても、どうしても取れない背中の凝りや胸のつかえが、ふっと取れたような心地です。
上の記事でも書いたとおり、この件の自分の仕事に自信はありましたが、私には自分が完璧だとの認識は全くないので、
心のどこかにいつも硬くて小さい異物があり、思い出したように時折ちくちくとその異物が痛点を刺してくるような感覚がありました。
🌻🌻🌻🌻
とはいえ、私はほっとしたものの、
おそらく、相手方は、今頃、はらわたの煮えくり返る思いをしていることと思います。
次の一手を画策しているのかもしれません。
🌻🌻🌻🌻
今回、私は、勝訴した案件の相手方から敗訴結果の逆恨み・八つ当たりをされ、本案が終結した後も、弁護士会の懲戒請求という制度を利用して1年以上もいわれのない時間的精神的経済的負担を負いました。
単位弁護士会及び日弁連の下した棄却という結論が示すとおり、このことは、不当で理不尽な、私にとって災難ともいえる出来事でした。
私は、「正しかった」のです。
しかし、このブログでも何度かお伝えしたように(お伝えしているはずですがしていなかったらごめんなさい、汗)、私は、「正しさイコール幸せではない。」と考えています。
こんな仕事をしていますが。
念のため申し上げると、自由と正義、特に自由は本当に大切で、まさに不断の努力をもって我々が守らなければならないものだと思っています。
また閑話休題。
つまり、この件に関して、私は、やはり「正しかった」。
でも、幸せではない。
本音を言えば、自分が正しいことなんて証明されなくていいから、勝訴した段階で何事もなく終わった方がよっぽどよかった。と思っていました。
🌻🌻🌻🌻
それでも、この出来事に意味があるとしたら。
「人は見たいようにしか物事を見ない」という私の考え方の強力な裏付け証拠ができた(笑)こと、
弱い自分であってもいい、人を頼っていいんだと分かり、実際に頼ることができたこと、
このブログを始めるきっかけを与えてくれて、自分自身の中に自分を表現することへの躊躇が減っていったこと、
決意をして表現をすると現実が変わっていくことを体感できたこと、
これらのことによって、本当の意味の強さと優しさを以前よりも身につけたこと。
たくさんの、恩恵がありました。
そして、恩恵を受け取ったおかげで、
懲戒請求を申立てられた後、つい最近まで感じていた、「私には相手方の攻撃心を刺激する何かがあるのではないか。私も悪いところがあったのではないか。」という、ある意味優しすぎる責任感を、手放すことができました。
それは、「そんなの相手方の問題でしょ!私悪くない!弁護士会の判断もそうでしょ!」という鋭利な刃物ですっぱりと相手方を切り離し、返す刀で自分も傷つくようなものではなく。
「私ったら責任感が強すぎる!もっと自分優先でいいの!」という不安に縮こまり強さという名の堅牢な殻を作るようなものでもなく。
ただただ、単純に、
「ああ、相手方は、私のことを、諸悪の権化と思うんだな。」
と受け止め、
「しかし、私は、そうは思わない。相手方がそう思うのは構わないが、私は、私に対して失礼なことをされるいわれは全くない。自分は自分らしくあるのみ。」
と、自分に集中し、
完璧ではない自分を、知らず知らずのうちに人を傷つける自分を、それでも信頼し、自分のために生きる。
あとは、なるようになる。
命を取られるわけじゃない。
そして、相手方の人生は、相手方のものであって、私が責任感を感じて踏み込む領域ではない。
そう思うことができるようになりました。
🌻🌻🌻🌻
つまり、こんな災難な出来事でさえも、あながち悪いことばかりじゃなかったのです。
旅の途中では、スリに遭ったりクレジットカードの番号を盗まれたり天候が悪かったり、いろんなことがあるもので、それでも、私は、これまで行かなければよかったなあ、と思う場所はありません。
全部、行って良かった。
人生の旅も、これと同じなのかもしれません。
みなさま。
本当に、ありがとうございました。
今後も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!