小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

自分の作ったものが自分の手を離れること。

今年の3月に、古代文字(☆)の塾生展がありました。

私は、『花鳥風月』という作品を出品しました。
塾生展に出品するのは2回目で、甚だ未熟ではありますが、その時の私なりにベストを尽くした作品です。



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※なぜか自分も入る。


私がたまたま在廊していた時に、
私の知人ではない若い女性のお客様から、呼び止められました。


その女性は、少し興奮した様子で、私に対して、

「この『花鳥風月』を書かれた方ですよね?」
「『月』の字が象形だということは分かるんですけれど、この黒点に、さっきから吸い込まれそうなんです。」

と言い、

この私の書いた『月』の字についての、彼女の解釈を語ってくれました。


それはもちろん、私がこの『月』の字を書いた時の意図や心持ちとは異なるのですが、
私は、彼女の解釈を聞いて、とても嬉しくなりました。


🌻🌻🌻🌻


彼女との対話によって、

俳句の詠み人であった(ある)母や伯母がよく話していた、

俳句の面白さは、詠み人の手を離れた後の解釈の多様性にある。

という言葉の意味が、腑に落ちました。



ああ。そういうことか。


これが、アートなのね。


🌻🌻🌻🌻


日頃、弁護士である私は、

自分の意図が誰が読んでもに伝わるように、言語明瞭に主張をし、証拠を提出したり、
あるいは誰が読んでも誤解のないようにできるだけ解釈の余地のないように条項を作ったりしています。


自分が作ったものを、読み手(観察者)の解釈に委ねるということは、無いに等しい。


その作業は、ゲーム感覚の愉しさはあるかもしれないけれど、
自由でクリエイティブな楽しさは、ない。


私は、私の『月』に何か心を動かされた彼女のことを、きっと忘れないでしょう。

自分が生み出したものに、小さくても影響力があった。

生命や魂みたいなものを手渡すことができた。


子どものいない私には、初めての喜びでした。


🌻🌻🌻🌻


そう。


自分の作品が、自分の手を離れて、観察者の解釈に委ねられる。

生命や魂みたいなものが、見知らぬ誰かに、手渡される。

エネルギーが循環し、繋がる。


それが、アート。



☆古代文字についての過去記事


○その①~⑤