小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

ネガティブに光を見る。その①

「弁護士(マチ弁)の仕事は、社会の溝さらいだ。」

と、弁護士になり立てのころに先輩から聞いた。

 

そんなに自虐的にならなくても。。。と思ったものだが、

私自身も、ネガティブなことばかりを扱って、マイナスのものをゼロに戻すだけのこの仕事に、何度もうんざりした。

 

もっと人を幸せにする仕事がしたいと思った。

でも、ネガティブを、アンダーグラウンドを引き受ける人も必要だ、空気清浄機になったと思えばいい、などと自分を納得させて、続けてきた。

 

世間のキラキラ、ワクワク重視の風潮のなか、ネガティブは悪いこと、一段下のことのように思え、

それを扱う私も、どこか自分を卑下し、自己犠牲の気持ちがあった。

 

けれど、当たり前のことだが、人生は、いつもいつも幸せなことばかりではない。

人は、必ず死ぬし、病気もケガもするし、故意にせよ過失にせよ過ちを犯し、人を傷つける。

自分の身だけではなく、家族にもこれらが降りかかる。

死別にせよ離別にせよいつかは家族と別れ、最期は自分の肉体とも別れる。

 

そう考えると、

どんなどん底にいようとも、

今、生きているだけで、ありがたいことなのだ。

それは、神様仏様ご先祖様とにかく色々なものに守られていることに感謝するということでもあるし、自分が自分の生命力に感謝をするということでもある。

 

夫が憎いと泣き叫んだあの人も、

裁判所の判断に納得がいかないと自分の正義を貫き通したあの人も、

このままじゃ亡くなった母親が浮かばれない、と頑として譲らなかったあの人も、同様のことを言って譲ったけれど納得ができないと何時間も話したあの人も、

私はそんな人間じゃない、たまたま破産しなければならなくなっただけだ、と食ってかかってきたあの人も、

全てを諦めているかのようにお金で解決をしたあの人も、

最後まで心を開かず表面上の反省をしてやり過ごした頭脳明晰なあの人も。

 

最後には、程度の差はあれ、感謝があった。

手放しでの喜びもあったし、しみじみとした感謝もあったし、納得いかないけれど一応の感謝もあったし、話を聞いたことに対する感謝もあった。

 

これまで扱ったたくさんのケースは、もちろん感謝で終わったケースだけではないけれど、

それでも、私はその時できることをした。自分を守るために辞任したことも含めて、よく頑張った。

 

 

🌻🌻🌻🌻

 

 

他の同業者のように、なぜもっと軽やかに仕事に向き合えないんだろう、

なぜ弁護士であることをもっと誇れないんだろう、

なぜ紛争をゲームと捉えられないんだろう、

 

とずっと自分にダメ出しをしてきた。

どんなに人から誉められようとも、自分を認めることはできなかった。

 

それは、おそらく、私が、

平和主義者で共感力が高いあまりに紛争をゲームとして捉えられず、

しかも、完璧主義過ぎてこれまでの結果(客観的には悪くないと思う)を低く見積もってきたからだと思う。

 

スマートにさらっと勝つ弁護士になりたい、或いは正義を実現するためにガンガン頑張る弁護士になりたい、それがあるべき姿だと思ってきたけれど、

 

私には、難しいようだ。

私は、不器用に、一つ一つの案件に心を砕きながら、クライアントや相手方に向き合いながら、やっていくことしかできない。

それが私だから、仕方ないのだ。

 

こうして仕事を通じて他人様のネガティブに向き合い続けてきたことは、

結果として、私を経済的に自立させ、時間的に自由にし、何よりも、私自身の心の中のネガティブに光を当ててくれた。

 

私の体験した悲しい、悔しい、寂しい、怖い気持ちが、多少なりとも、人様のお役に立った。

 

もし、私の仕事が溝さらいだとしても。

 

日本の誇るトイレのように、美麗で、清潔で、快適に、

私は私を、私の仕事を扱っていきたい。
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●その②、書きました。