小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

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すっかり忘れていたことを、不意に思い出すことがある。

 

あれは小学校6年だったか、中学1年か。

1月3日に、友人のNちゃんと、鎌倉八幡宮に行った。

横須賀線は動いていたけれど、積雪が10センチほどもある、寒い寒いお正月だった。

 

Nちゃんは、小学5・6年のクラスメイトで、ご両親はお蕎麦屋さんを営んでおり、お店をよく手伝う、人馴れした面白い子だった。

ALFEEが好きで、中学生の時に、誘われて一緒にコンサートに2回ほど行った。その他にも、ことあるごとに、一緒に横浜(横浜市民は、横浜駅周辺のことを、たんに「横浜」という)に遊びに行ったり買い物に行ったり。一緒の塾に行ったり。恋バナをしたり。

仲の良い友達だった。当時の親友と言ってもよいくらいに。

 

Nちゃんと一緒にお参りをして、おみくじを引いた。確か大吉だったと思う。

雪空のなか、ひとしきり盛り上がり、帰った。小町通りでお茶でも飲んだかもしれない。いや、それは大学の時の別の友人かもしれない。

 

Nちゃんとは、別々の高校に進学したが、その後もしばらくは、お互いの文化祭に行ったりして、交流が続いていたように記憶している。

 

ただ、大学、社会人となるにつれ、何とはなしに疎遠になり、

Nちゃんの実家の蕎麦屋さんはいつの間にか閉店し、新しい住宅が建っていた。

 

Nちゃんは、短大卒業後、結婚して引っ越したと、同じ中学からNちゃんと同じ高校に進学した友人に聞いた。

 

その友人とは、今も繋がっている。

繋がっている一番の要因は、仲良しグループの中にマメに集まりを開催してくれる友人がいることだと思う。

彼女たちは、SNSをしているわけではないが、こうして繋がっている。

 

 

今も繋がる友人たちと、Nちゃんを分かつものは、なんだったのだろう。

 

思考を続けても、心に尋ねても、わからない。

 

ただ、何年かに一度、正月の澄んだ寒気に触れて、ふとあの日の鎌倉の記憶が喚起される。

正確さは曖昧になっても、あの日白とグレーの世界に赤い上着が映えていたNちゃんの印象は、色鮮やかに心に残っている。

 

元気かな。と、懐かしく思う。

 

そういうご縁だったんだな。

 

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