小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

お互い様。

私の母は、子煩悩だった。

父が亡くなってからは特に顕著になったと思う。

 

私が幼児・児童だったころ、母は私にわりとクールに接していたような記憶だが(当時子どもの自立を促進させるため甘やかさない育児が流行っていたようだし、母は次女なので長女の私に対して思うところがあったのかもしれないし、物理的に弟の子育てが始まり私に構っていられなくなったこともあるだろう)、

私が高校に入学したころからは、一転、金曜夜に酔って帰ってきては、私や弟にハグ、というか抱きつき、「愛してるよ~!」などという情熱的で愉快な母であった。

 

おかげで、私は、母から愛されていたと確信しているし、

幼児期に感じた寂しい思いも、今では母も若かったし、必死だったんだろうなあ。仕方ないよなあ。と思っている。

 

それでも、思春期から大人になってしばらくの間と、別居して実家に出戻ってからは、母は、我々子どものせいで、自由を失っていたのではないか。と考えていた。

 

理由は、母は、父が亡くなったあと、少なくとも2回、恋をしていたからだ。

 

一度目は、私が中学~高校生のころ。

母は私に何も言わなかったが、なんとなく女の勘が働いたのだろう、私は、母に、問われたわけでもないのに自発的に、「もう1人パパはいらない。そんなの亡くなったパパがかわいそう。」と言ってしまった。

その後、その人とはお別れしたようだった。

 

二度目は、私が社会人になってから。

この時は、母は私にお付き合いしている男性がいることを話した。

私も、それを受け容れた。

でも、いろんな事情で、その恋は成就しなかった。

 

 

後年、一度目の時に私があんな風に言ってしまったのが良くなかったかなあ。

と思った。

 

だが、きっと、母が再婚しなかったのは、私(や弟)だけが原因ではないのだ。

再婚しなかったのは、母の選択であり、もし母が本気で再婚したかったら、何がなんでもしていたはずなのだ。

 

再婚の選択をしなかったのは、父を一番愛していたからかもしれないし、子どもへの影響を考えてのこともあったかもしれない。おそらくは、その両方で、他にも理由はあったのかもしれない。

 

私のせい、と考えてしまうのは、

私が母に良い娘じゃなかったとたくさんの罪悪感を抱いていたので、「自分が母のお荷物だと思いたい」ところもあったのだと思う。

 

それだけ、母のことを愛していたから。

母に愛してもらっても、何も恩返しできなかったと悔やんでいたから。

 

 

母からは、子どもは元気で生きているだけでいいんだ、と言われた。

それを、私は、表向き「そうだよね!」と明るく受け取るフリをして、ワガママ長女を演じつつも、どこかで申し訳ないと思っていたようだ。

 

そして、今、思うのは、

逆説的だが、母もまた、自分が生き延びるために、子ども達を必要としていたのかもしれない。

 

人というのは、1人ではなかなか生きていけないものだから。

 

お互い様。なのかもしれないね。
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