小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

めんどくさい。は、自由と愛の出発点。

数ヵ月前のある日、ふと、日々の暮らしで『あ~もう~、めんどくさいな~。』と思うことがとても多いということに気がついた。

 

疑問に思った。

どうして、私はこんなにめんどくさいと思うんだろう?

めんどくさいって何なんだ?

 

そこで、めんどくさいの類型を探ってみて、めんどくさいとは何なのか、めんどくさい時、私の心のなかで何が起きているのか、考えてみることにする。

 

●パターン① 対内的なもの

やらなければならない(と思っている)けれど、やりたくないこと。

家事、仕事、時には趣味も義務化する。

「楽しみ」ではなく「義務」と思ったとたんに、それが自分のためであっても、めんどくさくなる。

 

しかし、逆もある。義務と思っていた家事が、やっているうちに楽しくなったり。特に掃除とか掃除とか掃除とか(笑)

身体を動かすことが心に良い方向に作用しているのかもしれない。

 

●パターン② 対外的なもの

合理的或いは感情的に楽で良い結果に至るであろう手段があるにもかかわらず、相手の気持ちを慮って、或いは相手の機嫌を損ねて自分に害が及ぶのを避けるために、相手の望むやり方に合わせること。しばしば時間や手間や心を使うプロセスであることが多い。

例えば、繰り返される愚痴を聴く、相手のプライドを傷つけないよう配慮する、こうして欲しいんだろうなと察知して動く、素直に言葉を発せられない人の意を汲む、等。

「こうすればいいのに。」「こうするべき。」という自分の考え方を曲げて、相手に合わせなければならないような気がして、合わせてしまうから、めんどくさくなるのだ。

 

しかし、愚痴を聞くのも、配慮するのも、察知して動くのも、苦にならない、いや、むしろ喜びであるときもある。

 

それは、自らがそうしたいと思って行動した時。

相手のために自分が役に立ちたい、と思ってした行動は、自分のためであり、自分の選択なのだから、苦にならない。

 

逆に言えば、

イヤなときは、愚痴を聞かなければいいし、配慮も察知して動くのもやめればいいし、慰めるのもやめればいい。

 

そう。

「めんどくさい」と感じることが多い時、

私たちは、自分の本心に沿った行動をしていないのだ。

 

相手に対して、『めんどくさい人。。。』と思う時は、必要以上に相手の期待に応えようとしている時。

 

本心を見つめて、そのとおり行動していい。

本心が相手の期待に合わせて行動することなら、そうしたっていいし、

鈍感力を発揮して何もしなくたっていいし、

我慢をしてきたことを伝えたっていいし、

相手はどうしてそういう態度を取るのか聞いてみてもいい。

自由なんだ。

 

ただ、忘れたくないのは、

相手の気持ちを察しようとした、相手のために良かれと思って小さな我慢をしようとした自分の優しさを、愛を誉めてあげること。

 

めんどくさい。は、自由と愛の出発点なのかもしれない。

 

●1月20日、続きを書きました。


f:id:masamiogw:20190119102906j:image