小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

もし、自分がこの出来事を体験したくて引き起こしたとしたら。

『自分がこの世界を作っている。』

 

この言葉は、つまり、起きた出来事から生じる様々な感情のうち、どれを選択するかは自分次第だ、ということだと理解している。

 

どんなにツラい出来事が起きても、「もし、自分が引き起こしたんだとしたら、一体何のために?」と考えてみる。

 

この作業は、「正しさ」の観点からみて自分が悪くない場合、ものすごい抵抗感がある。

例えば、職場の人間関係のトラブル、離婚などであれば、まだ比較的、抵抗は少ないかもしれない。職場や配偶者を選んだのは自分だから。

けれど、例えば過失割合が100対0の交通事故や通り魔の被害者、不摂生をしていない人の病気や死などの場合は、到底受け入れられない。私悪くないもん!と叫び出したくなる。

 

確かに、悪くはないのだ。

あなたが悪いことをしたから、未熟だから、このような不運に遭ったということではない。反省しろ、とか、もっと頑張れ、ということでは全くない。

むしろ、自分は自分なりによく頑張ってきた、あの時できるベストを尽くした、と自分を誉めて欲しい。

 

ただ、どんなに一見不運に見えることであっても、その経験をした意味は必ずある。

自分や人の愛情深さを知ること、つらい経験を乗り越えることで他の人を支える強さを身につけること、人の死や自分の死を受け容れ生命への感謝を知ること、絶海の孤島に独り佇んでいると感じていても人は必ず周りに居て孤独を感じているのは自分の選択だと知ること。

 

そう。

不運だ、もうだめだ、どうして自分ばっかりこんな目に、ごめんなさい、許して下さい、誰も助けてくれない、自分が死んでも誰も悲しまない、もう消えてなくなりたい、ふざけるな、絶対に許さない、お前のせいで自分はこんなに不幸だ。

そういう感情を、「選んでいるのは、自分」。

同じ目に遭っても、「ああ、もうこんな目にあっちゃってさ。トホホだよ(笑)助けてよ~」とのほほんと笑って、助けを請うこともできる。

 

ネガティブな感情が悪いわけではない。不当な仕打ちを受けたり、とんでもない不運に遭ったら、怒ったり泣いたり天を恨んで当然だ。

ただ、自分が被害者であると長い時間思い続けていると、加害者を攻撃することで、結局、自分自身をも傷つけてしまう。

 

いったん、「なぜ自分はこの苦しみ悲しみを味わうことを選んだのだろう」と考えてみると、不必要に自分を被害者の立場に閉じ込め続けることなく、ツラい出来事を乗り越えていくきっかけになる。

 

まあ、上で述べたとおり、めちゃめちゃ難しいんだけれども!

他の問いかけとして、「もし、このとんでもない出来事に感謝できるとしたら、どこだろう?」も良いかもしれない。

 

感謝の気持ちの中にいる時、心は平和だから。

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