小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

心の真ん中に、気持ちを置く。 ③別の言い方をすれば、自己一致。

●これまでの記事

 

最近、ブログやSNSで、イベント等のPRをしていて感じたこと。

 

それは、自己一致していないと、人に自分(作品、商品を含む)を宣伝することは難しいということ。

 

例えば、古代文字であれば、私自身が、古代文字を書く楽しさ、美しさ、パワーを信じていて、好きでなければ、人にはお薦めできない。

心の中と言動が一致、すなわち自己一致していないと、なかなか人に宣伝するということは難しい。

 

もし自己一致していない場合、宣伝をしたとしても、心の底の自分の本当の気持ちに嘘をついている感覚が、それに伴う人を騙しているような気まずさや罪悪感が、どこかから滲み出て、他者に伝わってしまう。

結果、古代文字の素晴らしさが人に伝わることはなく、宣伝としては成功しないことになる。

 

ただ、自分が打ち込んでいる趣味や習い事、好きなお店、食べ物、土地等を人に薦めること自体(いわゆる口コミ)は、そうは難しくない。

自分自身と一定程度の距離があるものへの好感は、自己一致しやすいのだろう。

こうしたことに関しては、私も含め人々は、よかれと思って嬉々として薦めていることの方が多いと思う。

 

難しいのは、

さらに一歩進んで自分の作品等自分自身を薦めることである。

自分の価値を、まずは自分自身が受け取っていなければ、まず人に薦めることはできないからである。

 

自分の作品の価値を受け取る、と簡単に言ったが、これが言うは易しで、行うは極めて難しい。

 

自分の自信のなさも含めて受け容れて、それでも自分には価値があると信じること。

 

自分自身を、過大評価するでもなく、過少評価するでもなく。

人を、見下ろすでもなく、見上げるでもなく。

ただ、心の真ん中に、気持ちを置く。

 

引き続き私の古代文字を例に挙げれば、

私の作品には市場価値などまだなく、何かの賞を受賞した、入選したなどの権威もない。

司法試験のような資格による担保はない。

本業ではないし。。。趣味だし。。。お金儲けがしたいわけではないし。。。

自分で宣伝するなんて「必死だな」って思われそう。

 

と、いくらでも「前に出て恥をかかない」言い訳はできる。

 

前に出なければ、

消費者、お客様、批評家、評論家

でいることができる。

 

表現者

になりたければ、前に出るしかない。

 

表現したい人は、いずれ、前に出られずにはいられない。

その方法は、必ずしもアーティスティックなものに限らず、ビジネスだったり、日々の暮らしの実践だったり、学究だったり、ボランティアだったりするのだろう。

 

だから、前に出るとき、人は自己一致しているのだと思う。

 

私は、今、自己一致しているな。

と感じられる。

 

それが、嬉しい。

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