小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

駐車場を探す簡単なお仕事です。

大学1年の夏、新聞の求人広告(あの五行くらいの『委細面談』とか書いてあるやつ。)を見て、学芸大学の某ゴーン自動車販売会社に併設されている子会社で、アルバイトをした。

 

とは言っても、自動車ショウルームの受付女子のような華やかな仕事ではなく、

修理工場で職人として整備をする仕事でもなかった。って当たり前か。

私は、そのころ、運転免許を持っていなかった。

 

仕事内容は、「駐車場探し」。

 

当時は、バブルが弾ける直前で、Japan as no.1とかまだ言われていた頃。

世間の皆様はもちろん、この浮かれポンチな時代が永遠に続くと思っていた。と思う。

 

そんな中、新車も売れまくり、

しかし、購入したくとも都内は駐車場不足で車庫証明が取れないというお客様のために、ディーラーが、お客様の住所から半径500メートル以内に空き駐車場を探すというサービスをしていたのだ。

 

そこにやってきたのが、都内の地理に全く明るくない、オサレスポットとは無縁の早稲女(ワセジョ)の私。

 

確かバイト代は出来高制。一件5,000円弱だった記憶である。

スマホはもちろんガラケーどころかポケベルだって一部の学生しか持っていない時代。

パソコンだって会社にすらない。ワープロ時代である。

会社に行き、上司から「ここお願い。」と住所と購入車種が書かれたA4の紙1枚を渡されるや、

最寄り駅を時刻表で調べ、住宅地図を調べてアタリをつける。

地図をコピーし、最寄り駅まで行く。

 

地図を頼りに、港区のど真ん中とか、渋谷区の高級住宅街なんかをウロウロとした。

 

大使館なるものを初めて目にしたのも、この時だったように思う。

 

現地を検分し、駐車場の空きがありそうであれば、問い合わせ先の管理会社に最寄りの公衆電話から電話する。

空きがあれば、何台か、車両が入りそうかを確認。

 

帰社して、情報を上司に伝える。

 

という、なかなかに愉快な冒険心をくすぐるアルバイトだった。

 

 

そして、私は、何度か通ううち、途中から、「最寄り駅の不動産屋に飛び込んで駐車場を紹介してもらう」

「何なら、学芸大学の駅前公衆電話から最寄り駅の不動産屋に電話して、問い合わせて現地に行かない」

という裏技テクニックを開発し、高時給を実現した。

 

そして、いつしか私はそこのバイトには行かなくなり、なぜか時給750円のマ○ドナ○ドで長期にわたってバイトしたのであった。

 

旧き善き?時代の物語。


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