小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

何でツラいかというと。葛藤なのだ。



昨日の記事で、

ただ、最近、私は、いろいろフリをすると、やっぱり苦しくなってしまうので、

フリをすることは、できるだけ止めようと思う。

 

と書きました。

 

で。

わたくし、常々、ツラい時苦しい時って、

心が引き裂かれる、つまり葛藤している時だなあ。と思っていまして。

 

フリをする、っていうのは、まさに葛藤を生み出す状況なわけです。

 

例えば、心の奥底では、自分が弱いと思っている。弱くてもいい。とも思っている。

でも、対外的には、強くみせなきゃ、強くなければ価値がない、と思っている。

だから、強がる。

 

弱くてもいい、と、強くあらねば、の2つが、矛盾して、葛藤するわけです。

 

これを、弱くても、強くても、OK。とするには、

何かひとつ、かすがいのようなものが必要。

(心理学的には、統合するための要素なのだと思います。)

 

私は、そのかすがいが、

「それが自分だ」という自分への愛や、

「それほど愛している(いた)」という他者への愛だと思うのです。

 

自分の中の、愛に気がつくことができたら、ほとんどすべてのことが、統合できる。

 

そのための方法論は、枚挙に暇がないほどたくさんあるのですが、

 

先日知ったものを1つ、紹介したいと思います。

 

 

①嫌いな人を、思い浮かべます。

②嫌いなままでいいので、その人を思い浮かべながら、「○○さん、ありがとうございます。」と、その人の名前とともに、口に出します。

 

これだけ。

 

でもね。

 

人を嫌いであり続けるというのも意外とエネルギーを必要とするし、

嫌いな人のことは、本当は気になって仕方がない。

どうでも良ければ、エネルギーを消耗しない。

 

つまり、よく言われるように、嫌いな人=気になる人、であり、

そのエネルギーのかけかたからすると、好きな人、にかなり近いのだと思うのです。

 

でも、嫌いな人には、それなりのムカつきポイントがあるから、嫌いなのです。

 

それはそれとして、

 

そうだとしても。

嫌いだとしても。

 

せっかくご縁があって出会ったからには、

その人から、何かしら学ぶところがあるのでしょう。必ず。

 

嫌いであること自体は、そのままに、

学んだことに対しては、ありがとう。とお礼を述べる。

 

そうすると、

「ありがとう」という感謝の気持ちがかすがいとなって、

その人のことを、嫌いであるが、感謝している。という自分を、認めて受容れることができるのかもしれません。
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