小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

お母さんを悲しませたくなかった。



母のことを、引き続き。

 

父が亡くなって以来、母は、私たち家族を「かわいそうな家庭」にしたくない、と、頑張ってきました。

 

 

上場企業の会社員に復帰して、仕事で成果を上げ、正社員女子の平均よりかなり多いお給料を貰い。

 

自宅不動産を購入し。

 

私と弟を、奨学金を使うことなく、私立大学に行かせました。

 

昭和~平成初期の寡婦の生き方としては、モデルケースのような生き方。

 

父が亡くなってから5年くらいの間は、母は、悲嘆に暮れていたけれど、

そのあとは、目の前の子ども達ふたりを育て上げるため、また、彼女自身のプライドのため、必死に生き抜いてきました。

 

そうして、だんだんと、私たち家族に生来の明るさが戻ってきました。

 

生意気盛りの思春期の子ども達は、母が何か面白いボケを言うと突っ込み、

食卓を囲みテレビを見ながら皆で大笑いし、

母は、毎週金曜日には会社の同僚達と飲み会に行き、歌を歌いながらご機嫌で帰ってきました。

母は、時には、私をホテルのレストランに連れて行ってくれて、マナーを教えてくれました。

 

父のことが家族の間で話題にのぼることは、ほとんどなくなっていきました。

 

家族3人の暮らしは楽しかったし、

私も、10代の終わりから20代後半までは、まさに大人の階段を昇り、自分のお金で国内外色々な場所に出かけ、好きなものを好きに買い、お酒を覚え、独り暮らしをし、結婚もして、充実した時期でした。

 

ただ、本質的には、そのころ、私(たち家族)は、父を失った悲しみが強すぎて、その悲しみを、心の一番深い場所に沈め、楽しく生きてきたのだと思います。

それは、その時必要な体験だったのですが。

 

後年、私は、離婚し、弁護士になって、その後、恋愛で躓くことが増えました。仕事でも、裁判所や検察官やベテラン弁護士や年配のクライアントや相手方等、権威的な存在に苦手意識やネガティブな感情を掻き立てられることが起きました。

心理学を学び、これは人生初期に強く影響を受けた男性、すなわち父の影響であることを理解するようになって、このブログでも書いた、父への罪悪感、喪失感、怒り、悲しみ、そうした父への思いを、何度も何度も見直し、手放すことになりました。

 

見直しの過程で、私は、父への悲しみ、換言すれば父への愛を、抑圧していたことに気がつきました。

 

 

そして、同時に、母への思いや関係性も見直すことになりました。

その過程で、上に述べた父の死後の私の半生は、

もちろん自分の選択ではあるけれど、「母を悲しませたくない」がために私が選んできたことだった、と、気がつきました。

 

いわゆるいい大学、それも芸術系でもなく人文系でもなく、就職が安定する社会科学系の学部に行き、会社員になり。

 

離婚して無職になったけれど、今度は最高峰の1つとされる国家資格を目指し、しかも単に目指すのではなく比較的合格可能性の高いロースクールという選択をした。

 

母を心配させたくなかったから。

母に、父がいなくても立派に子育てをすることができた、と満足して欲しかったから。

 

母と同様、私も心配性で、みんなが知っている・みんなが認めてくれるアイテムがないと、怖くてこの世界を一人で渡り歩いていけないと思っていたから。

 

母と同様、「かわいそうな家の子」と言われたくなかったから。

 

 

そのために、

心が震えるような本当にやりたいことを、脇においてきた、と、つくづく思います。

 

でも、最近は、少しずつ。

自分の本当の気持ちを取り戻し、やりたいことをできるようになってきたと思います。

 

相変わらず、人の期待にすぐ答えようとしてしまうけれど。

 

私は、私。

 

父も母も大好きだし、今生で二人に会えないことは悲しいけれど、どこかで繋がっている。

 

繋がっているけれど、私と母は、違う人生を歩んでいる。

 

そんな感じです。


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※古代文字「習」。