書家になる。と宣言しまして。
第26回雪舟国際美術協会展に入選しました。
年末の12月11日から、六本木の国立新美術館にて展示されます。
写真審査は『躍』の額を提出したのですが、主催者側から他の作品でもOKと言われたので、新作又は既存の軸を展示するかもしれません。
今、ここに、生きている、私の魂を込めた作品を出したいなあと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします!
で。
今回のチャレンジや、これまでのやったことがないことへのチャレンジを通じて、思ったこと。
行動すれば、何かが起きます。
確実に。
体験することによって、新たなものの見方を身につける。
身につけた見方を使って、新しい行動を起こす。
このサイクルを繰り返す。
すると、これまでの凝り固まった観念が、一部壊れる。
観念が一部壊れると、 自分が持っているその他の観念も疑うようになる。
「あ、これ、当たり前だと思っていたけど、違ってもいいんだな。」と。
いわゆる、制限が外れる。
そうすると、また、新しいことにチャレンジしたくなる。
何事も、トライ&エラーを繰り返していけばいい。
例えば、それまでの自分なりの倫理観に反することだって、やってみたらいい。
その上で、「やっぱり、この点は変えたくないな。」「やっぱり、ここは変えてもいいな。」
と、判断していけばいいのです。
ごく最近、私が書き換えた観念は、
「守るべきものがないということは、孤独である。」
という観念です。
そう思っていたから、必死に、何かを守らなきゃ、と庇護対象を探していました。
自分が、その誰か・何かと関係を紡いだ上で、「守りたい」というのは、自然なことだと思います。
或いは、自分より明らかに弱い人や動物などを守りたいのも、生き物として自然な行動。
でも、自分の孤独感を軽減(そう、軽減であって癒しではない。)したいがために、守るべきものを探すことは、違う。と思いました。
(違う、ってあんまり言いたくないけれど。)
こんな見方もできます。
「守るべきものがないということは、
何も失うものがないということでもある。」
だから、チャレンジできたりします。
禍福は糾える縄のごとし。
ちょっと違うか(笑)