小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

居場所を追われる恐怖があった。

私は、自分の居場所について、もしかすると、人より多くの感情を持っているかもしれません。

愛着、 守りたい気持ち、執着、私は居場所を追われるという思い込み、私には居場所がないという思い込み、私はいなくなるから大丈夫ですスミマセンでしたという諦念や罪悪感。

 

どちらかというとネガティブな思いが多いのですが、それは、私の生育歴に起因しているのかもしれません。

 

 

子どもの頃、私は、父の転勤等により、4回引っ越しを経験しました。

幼稚園は2つ、小学校は3校に通いました。

 

隣の家で馬を飼っていて、森のなかには近所の子ども達の秘密基地があった自然に囲まれた土地から、

夏には光化学スモッグが発生する大都会のマンションへ、

そして夏には群生する蛍を観ることができる清流の流れる山へ、

通学路に新幹線を臨む、緑のほとんどない東京の住宅街へ、

少し郊外の住宅街へ。

 

大人になり、すっかり忘れていたのですが、実のところ、転園・転校は、つらかった。

 

塾などの別世界を持っていなかった当時の私にとっては、家と学校が世界の全てでした。

その世界が、家族以外、全部ひっくり返ってしまう。コツコツと積み上げてきた友達との関係が、全てゼロになってしまう。

特に最後の転校は、父が亡くなったことに伴う引っ越しだったので、なおのこと、私の世界は反転してしまいました。

さらに、小学校5年で父が亡くなり転校した後、6年の時には、仲良しグループだった女子達から、ある日突然無視されるという、これまた世界が引っくり返る出来事を起こしてしまいました。

 

そう、「私が起こした」のです。

これは、だから私がかわいそうだ、という話ではなく(もちろん子どもの私は力量以上の出来事でかわいそうだったかもしれないけれど)。

 

これらの出来事に、未だに引き摺られ、自分の居場所について、先に挙げたようなネガティブな思いを持ち続けているのは、「私」なのです。

 

 

大人になってからも、自分の居場所を作っては去るという旅は続き、

幸いにして母や30年ものの親友たちがいたから、その旅を乗り越えてくることができました。

 

私にとって、居場所は、永遠ならざるもの。

常に、移ろいゆくもの。

 

加えて、10歳のときに父が突然死したことから、

「大切な人は、みんな私からいなくなる」

という思い込みを抱え続けていたので、

私は、

居場所がない、かつ、大切な人はいなくなる、を立証するかのような現実を創り上げてきました。

 

 

でも、頭ではそれらは思い込みだと理解していたので、

自分の創る現実がイヤで、悲しくて、寂しくて、

居場所がなくなるのはイヤだ、

大切な人はいなくなるという思い込みを無くしたい、

と、抵抗をしてきました。

本当に長い間。

 

ところが、ふと、今朝、気がついた、というか、

思い込みが書き変わったのです。

 

 

「大切な人は、いなくならない。」

 

 

なぜかは、分かりません。

 

 

そういう時期が来たとしか、いいようがないのかもしれません。

 

これほど長い間のたうち回らなければ腑に落ちないほど、

私は、深く深く、私から居場所を何度も奪い、挙げ句突然去ってしまった父を憎み、

つまりは愛していたのだと思います。

(憎しみは愛の裏返しです。)

 

父も、転勤を理由に娘に恨まれてかわいそうですけどね(笑)

だからこそ、何も言えなかった。本当はイヤだった、って言えなかった。

 

 

でもね、パパ。

 

やっと、私は、大切な人はいなくならない、って思えたよ。

心の底から、腑に落ちたよ。

 

パパの出した宿題を解くのに、40年近くもかかってしまったよ。

 

入試は全部勝ってきて、司法試験にも一発合格したのにさ(笑)

 

でもね、パパ。

私は、心底嬉しいの。

 

パパとママの娘で良かった。ありがとう。

 


f:id:masamiogw:20190615185225j:image