小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

願いの、叶えどき。

●猫シリーズ。



まだまだ続くぞ、猫シリーズ!笑

 

願いは、自分さえ決意して動けば叶うものが大半だと思います。

もちろん、叶うまでのプロセスの難易はありますが。例えば、出産などリミットがあるものは、難しいこともある。

 

そのなかでも、比較的簡単に叶うにもかかわらず、これまで実現してこなかったことは、

よく言われることですが、自ら「できない言い訳」をくっつけているんですよね。

忙しい、お金がない、1人では踏み出せない、失敗したら恥ずかしい/失うのが怖い、等々。

 

でも、ある時、その「言い訳」が、自分の中で、通用しなくなる。

それは、客観的にも主観的にも、概して衝動的に、行動として現れる。

 

その時が、願いの『叶えどき』なのかなあ。と思うのです。

 

 

今回、私は、猫たちを家族として迎えることにしましたが、実は、5年くらい前から、ぼんやりと猫か犬を飼いたいな。とは思っていました。

友人たちにも勧められましたし、実際、動物と暮らしている人達は、幸福度が高く思えました。

 

でも、私は、何だかんだと言い訳して、実現させなかった。

 

理由は、主に2つありました。

 

1つは、「あの人、寂しい人だから猫を飼ってる。」と思われるのが嫌だったことです。

 

・・・って誰に??って感じですが。

他人というより、自分が自分に対して、一番意地悪な見方をしていたんですよね。

 

そのことには気づいていたのです。

でも、自分の寂しさを、私は、どうしても好きになれなかった。

 

寂しいとか言ってる場合じゃない、そんな弱いところを見せたら嫌われる、バカにされる、もっと強くならなければいけない、という思いと、

 

そんなこと言ったって寂しいものは寂しい、何で私ばっかりこんな目に遭うのよ、という相反する思いが、葛藤をしていたのです。

 

それが、ここに来てやっと、

人にどう思われてもいいや。

そんなに自分に対して意地悪になる必要もないし、逆に自己憐憫する必要もない。

と、腑に落ちたのです。

 

それより何より、私には、家族が必要なのでした。

 

 

もう1つの理由は、

動物の場合、おそらく私が見送らなければならないということです。

 

あの喪失を、また経験する。

私は、耐えられるだろうか?

今でさえ、もう若くはないのに、猫たちに感謝をして、その先の未来を描ける自分でいるだろうか?

 

正直、ゾッとしました。

今でも、そのことを考えると怖くて仕方ありません。

 

でも、一緒に過ごした時間がなかったほうが良いなんてことは、決してないはずです。

そのことも、何人かの親しい人たちからさんざん言われていましたし、私も頭では理解できました。

ただ、気持ちが追いつかなかった。

 

けれども、自分の、或いは自分以外のどこかから、

 

『失う哀しみよりも、共に居られる喜びを、味わい尽くせ。』

 

という声が聴こえ、その瞬間、私は、決意をしました。

 

 

このようにして、私の願いの叶えどきは、やってきました。

 

 

思えば、これまでも、そういうことはたくさんありました。

ハワイに行きたいと思いながら何年も行かず、ある時突然行ったこともそうだし、

もしかしたら、若い時に転勤したことも(会社を辞める選択肢もあった)、結婚したことも離婚したことも、ロースクールに行ったことも。

 

『叶えどき』を、早める方法は、いくつかあります。

自分の可能性を信じる力を強くするために、自己肯定感を上げる、言い訳を1つ1つ潰す、少しだけでも動いてみる、成功体験を積み重ねる、等々。

 

でも、自然の流れに沿っていても、叶えどきが来るときは、来る。

メロンの食べ頃みたいに。

 

叶えどき。

人生って、面白い。

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