続きです。
入社2年目にハードワークをして、私は、
自ら、「私でなければダメな仕事なんてこの世界にはない。」という、強く硬い観念を強化し、
「ていうかむしろ、自分でなければダメな仕事を作るなんて社会人失格!」と自分を追い込んだのでした。
今でも、この考え方は、正しいと思います。カッコよく言えば、仕事というものは究極的には社会全体への貢献であると思うので、そうである以上、持続性は必須です。
ただ、だからといって、
私でなければダメな仕事、私であることが必要な仕事がしたい、
という思いまでも、否定してしまうことはないのです。
希望、望みは自由だし、個としての表現を追求しそれに価値を見出だしたい・承認されたいのも、また人間だから。
そう、社会への貢献意欲と個としての表現意欲は、両立しうる。
自分でなければダメな仕事などない(=代わりはいる)としても、
その仕事のクオリティを上げたり、様々な状況に最も適合的だったり、時には単に人の話を聞いて雰囲気を和らげたりする役割として、あなただから必要なんだ、と言われ、個として求められ、かつ、全体への貢献ができる可能性は、誰でも、どこでも、どんな仕事でもある。
それは、努力、タイミング、ご縁、心掛け次第ではあるけれども。
こう書いてみれば当たり前の話なのに、私は、長い間、「私でなければダメな仕事なんてない」と「私には価値がない」をイコールで結んでしまって、事実と評価を一緒くたにしてしまっていました(弁護士は「事実」「評価」を分けて思考し、文章化しなければならないのに!)。
観点も、全体への貢献と個の実現をごっちゃにしていました。
さて、私は、会社員から、紆余曲折を経て、弁護士になりました。
このあとが長くなりましたので、続けます。
●シリーズ
☆私の半生 ①自然の中の原風景と父の死
☆私の半生 ②普通になりたかった青春時代。
☆私の半生 ③離婚、そしてがむしゃらへ。
☆私の半生 ④ロースクール受験を決意(前編) 崖っぷち!
☆私の半生 ⑤ロースクール受験を決意(後編) 母を助けられなかった。
☆私の半生 ⑥ロースクール入学、母の死
☆私の半生 ⑦合格、そして弁護士になる。