小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

自分の中の偏見、自分への偏見をなくすには①

皆様、ご無沙汰しております。

書きたいことは色々とあるのですが、なかなか筆が進まない日々を過ごしておりました。

 

さて。

 

 

偏見。

偏った見方。(そのまんま)

 

そもそも、偏見とは何に照らして偏っているのか、それは本当に偏見なのか、基準となる「正しさ」が間違っているのではないか、という話はあるのですが。

今日は、そこはちょっと脇に置いておいて、おそらくほとんどの方が偏見と同意して下さることを例にしてお話したいと思います。

 

私には、自分の中にある偏見に気がつく時が、あります。

 

例えば、何かの役職についている人、「先生」と呼ばれる職業についている人、要するに権威的な立場にいる人(相手方代理人、裁判官、政治家、社長等々)が、女性だった時。

 

私のなかで、「あ、(男性ではなく)女性なんだな。」と、自分を差し置いて思う時があります。

 

「話が通じやすい。」「話が速そう。」とポジティブに捉える時もありますし、時と場合によっては、「怖そう。」「めんどくさい。」「大丈夫かな。」と思う時もあります。

そして、自分の中の偏見に気がつき、「そんなこと思っちゃいけない。自分も女性じゃないか。」と、自分を責めたりします。

 

そう、女性を女性というだけでネガティブに捉える時、天に向かって唾を吐くようなもので、自分を傷つけることになります。

また、心の動きとしては、自分の中にあるネガティブ要素を相手に投影しているだけ、とも考えられます。

 

かといって、自分が思ったことを、否定すると、これまた苦しくなる。

自然にわき出た感情を「これは偏見だから是正すべき。」と頭で否定してしまうと、感情は抑圧され行き場を失ってしまい、長い目で見ると、自ら、自己否定をよっこらせと積み重ねて、少しずつ自分の自信を喪失することになってしまいます。

 

そんな時。自分の中の偏見に気がついた時。どうするか。

 

①まず、少し俯瞰して、「自分が今『女性か。●●だな。』と、思ったな。」という事実を、認識する。

②「どうして私はこんな風に思うんだろう。」とか「こんなこと思っちゃいけない。」とか「自分もこう思われてるのかな。」等と頭(思考)による感情への攻撃が始まったら、やはり、俯瞰して、「なるほど。そう思う私もいるんだね。」と事実を、認識する。

③「そんなこと言ったって、思っちゃったものは仕方ないじゃん!」等と②への反発が出たら、それも、認識する。

 

①から③を繰り返すだけでも、不思議と心は落ち着きます。

自分の中の異なる分離した感情や思考が、否定されないことで統合に向かっていき、楽になるからでしょう。

苦しくなるのは、自分の中に矛盾した感情や思考がある時だから。

 

さらに、余裕があれば、事実認識を経て、積極的に事実を肯定します。

 

④女性への偏見を持つべきではない、という自分の正義感は、究極的には、自分や女性たちへの愛に他ならないんだ、自分を責めたのもそれだけ私が自分に期待しているから、私ならできると思ったからなんだ、と自分を認めてあげる。

⑤女性に対してネガティブな感情を抱いたことについては、自然にわき出た感情なのだから、「そっかそっか。そう思う時もあるよね。」「いいよいいよ~」と肯定してあげる。

⑥更に余裕があれば、自分の中の「男らしさ・女らしさ」のイメージを列挙し、それら全てにOKを出す。

 

より葛藤が減って、統合が進み、

自分をネガティブに捉えなくなるので、その投影としての他の女性への偏見が少なくなります。

ウソみたいなほんとの話。

 

お試しあれ!!

 

長くなりましたので、「自分への偏見をなくす」は、次回に続きます。

(まあ、やり方は同じなんですけど笑)

 

●続きです。


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