小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

愛って。

皆様、いかがお過ごしですか。

もうすぐクリスマスですね。

 

クリスマスシーズンでもあるし、昨日のグループカウンセリングでも愛に触れる時間が長かったので、私にとっての愛とはなんだろう、と考えてみます。

うちの実家は、浄土真宗だけどいいよね(笑)愛別離苦という言葉もあるし。

 

今の私は、
愛っていうのは、人のために犠牲になったり、嫌なことをされても耐えることではないと思います。

愛とは、自由で、対等で、創造的なもの。だと思っています。

 

 

でも、私は、これまで人生のうちの結構長い間、愛とは犠牲や忍耐だと思っていました。

 

母の愛し方が、そのように思えたからです。

特に父が亡くなってからは、いつだって、子どもたち優先。

母は、父の生前は専業主婦だったため、外でフルタイムで仕事をして子どもたちに寂しい思いをさせていると罪悪感を感じていたからかもしれません。

また、母自身が父(私の祖父)を早く亡くし、4人兄弟の中間子で、子ども時代に経済的にも精神的にもツラい思いをしてきて、自分の子にはそんな思いをさせたくないと思っていたからかもしれません。

 

私たち兄弟が10代後半になって外の世界重視になってきてからも、束縛とは違うけれど、過保護さは抜けきれませんでした。

 

母が、自分が欲しかった愛を、私たち兄弟に注いでいるようでした。

 

見方を変えれば、母は子離れできていなかったし、私たちも、なかなか親離れできなかった。

男親なしで3人でこの家で生き抜いてきた、という結束力や連帯感が、誰も口にはしないけれどもあって、私は、その温かくも大人になりきれない巣から、1人暮らしや結婚や様々な反抗を用いて抜け出そうとしたけれど、結局、抜け出すことはせず、離婚して、30過ぎて母に再度依存したのでした。

 

その後、比較的すぐ母が会社を望まずして退職したり病気になったりして、あげく60歳の若さで死んでしまったので、

私は、私が母に負担をかけすぎたからだ、と、自分を責めに責めました。

 

 

今なら、

子どものままでいたことも、母に面倒をみてもらったことも、友人たちに甘えたことも、その時の私には必要で、生き抜くためには仕方なかった、本当にありがとうございました、と思いますし、

実際には母の愛は犠牲ばかりではなく、自由や勇気もたくさんあったことを理解していますが、

 

本当につい最近、1年くらい前まで、私は、自分が大嫌いでした。

 

母の犠牲的な愛を鬱陶しいと思いながら利用した、しかも何も恩返しできなかった。

そんな罪悪感を抱えていました。

 

だから、愛といえば、母の愛し方がモデルとなり、自分を犠牲にしてでも尽くしたり、空気を読んで人のして欲しいことをしたり、その場で必要とされるキャラを演じるようなところがありました。今もまだあるくらい慣れ親しんでいます(笑)

 

けれども、犠牲になっても、自分が満たされない。

 

自分の中の子どもが暴れ出す。

本当の私で生きてよ!と。

 

しかし、あまりにも人や世間に合わせる生き方が普通になってしまったため、いざ本当の自分を思い出そうとしても、私には、分からないことだらけなのでした。

 

そんなこんなで、このブログを始めました(笑)

 

弁護士という立場上、ここまで自己開示をすることに様々な葛藤がありつつも、

もう、本当の自分でなければ生きられない、という私の奥底の感情は、爆破寸前だったのだと思います。

 

おかげさまで、

思わぬ方が読んでくださっていて、感想や更新督促(笑)を頂いたり、会話や世界が広がったりしています。

 

思えば、一昨年のちょうど今ごろ、根本裕幸先生(https://nemotohiroyuki.jp/)のライフワークセミナーを受けてから、公私ともに、色々なことが変わっていきました。

 

あの頃は、

まさか自分が代々木公園で同期と事務所をやっているとは思わなかったし、

古代文字書家になるとも思わなかったし、

猫と暮らすとも思わなかったし、

グループカウンセリングを共催するとも思わなかった。

プライベートでは、もっともっとたくさんの価値観や人間関係の変化がありました。

 

子どもの自分が暴れて近しい人たちに迷惑もかけましたし、

心から嬉しいことも悲しいことも悔しいこともたくさんありました。

それまで人に合わせてキャラを演じてきた自分の感情の蓋を開けると、恐ろしいほどたくさんの感情が出てきて、罪悪感に苦しみ、嫉妬に苦しみ、自分の無力さや価値の無さに苦しみました。

 

でも、その苦しみの底には、愛がありました。

 

そんなに自分を責めるのも、母を愛していたからだし、

人にネガティブな感情を抱くのも、その人に愛したかったり、愛して欲しかったり、助けたかったり、助けて欲しかったから。

 

あれから、2年。

 

いかんせん周りには素敵な人や出来る人が多いので、自分の足りないところ探しをして自分を責めてしまう癖は抜けきれませんが、

 

そんな自分も含めて、

 

私は、ようやく、本当の自分で生きられるようになりつつあるように、思います。

 

自由で、対等で、創造的な世界を。



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