小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

自己肯定の、その先に。② 寂しいって思いたかったし、怒りたかった。



続きです。

 

今日もまあまあ忙しい1日でした。

猫と戯れたり、知らない分野のことを調べて考えながら文章にまとめていたりすると、あっという間に時間が過ぎていきます。

猫と仕事が同列なのかって?同列です!(笑)

 

昨日は、自己肯定感が上がるにつれ、心の穴が埋まったり、仮面を被っている感覚がなくなった、という話をしました。

 

今日は、心の穴が埋まっていったことについて、もう少し細かく書きたいと思います。

 

母が亡くなって以来、ずーっとついて回った「私には家族がいない。」という孤独感。

心の穴は恋愛でも、仕事でも、趣味でも埋まらず、目先のことを楽しみつつも、人にも恵まれて楽しいはずなのにどこか空虚な気持ちを抱え、今一つ自信が持てず、私は、気がつけば徐々に地に足のついていないような、どこかいつも同じところで空回りするような日々を送っていました。

 

「普通」「弁護士たるもの」「上の立場の人がこう言うんだから」「女性として」「社会人として」「大人なんだから」「長女なんだから」「私より気の毒な人がいるんだから」

こうあるべき、という制限で、がんじがらめ。

がんじがらめなことを自分で認識し始めた後も、しばらくの間は、なかなか制限を外せませんでした。今も、ゼロではありません。

だって、1人で生き抜かなきゃいけないんだもの。

だって、人を傷つけたくないんだもの。

そんな思いで、我慢をしていました。

 

でも、昨日書いたように、悲鳴を上げるようになった自分の心を見つめて、「今、自分が感じている気持ち」をありのままに認めるうち、だんだんと自分の本当の気持ちが分かりはじめ、自分がしたいように行動するようになって、生きづらさが解消していきました。

 

心の穴は、ほぼ埋まりました。

 

で、今日、ふと気がついたのです。

 

「ああ、私は、寂しいって感じたかったんだ。」

「だから、こんなにも長い間、孤独感を味わう出来事を創ってきたんだ。」

と。

 

そして、怒りにまみれているクライアントさんのメールを読んで、自分もここ数年、怒ることがとても多かったことを思い出し、

 

「ああ、私は、怒りたかったんだ。」

「怒るのに、『自分は悪くない』って理由が必要だと感じていたから、怒っても正当化できるような状況を創り出していたんだ。」

と。

 

世界は自分が創っている、とよく言われます。

 

私は、この言葉を、この世界は自分の捉え方次第で変わるから、どんな出来事や感情にチャンネルを合わせるかは自分次第だ、ということだと解釈しています。

 

だから、母が亡くなった、私は独りであるという状況は何一つ変わりがないのに(孤独感が消え始めたのは猫と暮らす前でした)、

遠く離れたところに住む弟や弟家族、親戚達の優しさを感じ取ることができるようになり、

友人知人達の優しさも感じ取るようになり、

更に猫たちと暮らすようになって、

私の住む世界において、私は孤独ではない、と思えるようになったのです。

 

 

私、怒りたかったんだなあ。

寂しいって思いたかったんだなあ。

 

ごめんね。気がつかなかった。

ずーっと、怒っちゃダメ、人を傷つけるから。寂しいって思っちゃダメ、みじめになるから。

と、自分にダメ出しをしていました。

 

寂しいは原因が分かるのでともかく、

いったいなぜ、そんなに怒りたかったのか。

まだ、よく分かりませんが、怒りは感情の蓋だと言われていますので、そのうち何か出てくるのでしょう。

 

私が私の気持ちを理解できたおかげで、とてもスーッとしました。


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