小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

言葉シリーズ⑦ 正しさを嫌わなくてもいい。

 

皆様、こんばんは。愛し合っていますか?

 

私は、「正しさ」を、嫌っていた時期が長くありました。

こんな仕事をしているのに!(笑)

正美という名前なのに!(笑)

 

それは、正しさが、人を傷つけ、自分も幸せにしない、と思っていたからです。

 

自分は法的に(或いは道徳的に)正しい!と主張することで、罪悪感を募らせた相手の逆ギレや引きこもりを招く。もちろん、自分も傷つく。

仕事でも、そのような場面をたくさん見てきました。

 

また、プライベートでも、近しい人から良い子ぶるなと言われた時には、私の正しさがその人を傷つけたのだと思いました。

 

 

いつしか、「正しさ」を嫌うようになり、

「正しい」を追求しなければならない弁護士の仕事にも、どこか嫌悪感を抱くようになりました。

 

 

でも、この前ふと気がついたのですが。

 

原則としては、

「正しさ」は悪くないのです。

正しいことは、自分を守ってくれる。人を幸せにする。

そりゃあそうなんですよ。貸した金は返せ。売買代金は支払え。犯罪は処罰される。そうでなければ、世の中が安心安全に回っていきません。

法律だけでなく、思いやりやぬくもりといった広い意味の愛情という正しさがベースになければ、自分も人も幸せに生きることができません。

 

ただ、「正しさを武器にして大切な人と争うこと」は、人を傷つけるんです。

配偶者、パートナー、親子、兄弟姉妹、友人、仲間、ビジネスパートナー、同僚、時には労働者と使用者もそうでしょう。

大切な人であるがゆえに。

 

 

私は、「正しさを武器に大切な人と争うこと」が嫌いなのであって、

「正しさ」は嫌いではなかったのです。

 

で、弁護士の仕事において、特に家庭の問題の分野においては、「正しさを武器に大切な人と争うこと」が多いのですが。

そこは、確かに、今でも好きではありません。他人事とはいえ、見たいことではない。

 

でも、そうならざるを得ないほどの何かが、それぞれのクライアントさまや相手方にはあるんですよね。

そして、それは、代理人としての弁護士がどうにかできることではないのです(クライアントさんと話していて心理的な話になることはありますが。今後、カウンセリングメニューも別途ご用意していく予定です。)。

 

余談ですが、そうした正しさを武器に大切な人と争う時の代理人として、クライアントさまの人生やお気持ちや哲学を知ることができるのは、この仕事の楽しいところです。

 

正しさを嫌わなくてもいい、という気づきによって、私は、自分の仕事を否定的に捉えることが少なくなりました。

これは、私にとっては、とてもとても大きな意味のあることでした。

 

もっと早く気づいていたら、もう少し楽に、楽しく仕事ができていたかなあ、と思いますが、

きっとこれが、ベストのタイミングなのでしょう。


f:id:masamiogw:20200308211445j:image