皆さま、おはようございます。愛し合っていますか?
今日浮かんだ言葉は、
『無力感、無意味感は、人と自分への愛。』
です。
自分って、無力だなあ。
こんな私、生きてる意味があるんだろうか。
もう、消えてなくなりたい。
思春期くらいから、不定期に何度も訪れる、私のお馴染みの感情たち。
こんなに歳を重ねても、無力感も無意味感も、感じる時は感じます。
弁護士として、人を助けたくても、自分の力量や制度や其々の当事者の選択やら何やらで、どうしようもできないことはたくさんあるからです。プライベートでも、もちろん感じることがあります。
でも。
無力感や無意味感を感じるということは、それだけ、人を助けたかったり、役に立ちたかったから。
たとえその動機に、「役に立たない自分じゃないと愛されない。」という不安やおそれが含まれていたとしても。
自分は満たされているから人の役に立ちたいという奉仕の精神だとしても。
それらは、そうであるだけ。いけないことじゃあない。良いことでもない。
ただ、自分のなかで、どんな動機か・複数の矛盾する動機が存在するか、によって、苦しかったり、心地よかったりするだけ。
助けたかった、役に立ちたかった。
その思いは、人に対する愛なのだ。
そうやって捉えてみると、美しいですよね。
それと。
そうやって、無力感や無意味感を感じるということは。
実は、
「自分は、本当はもっとできたはずだ。」
と、心のどこかで思っているということ。
自分の潜在的な能力を知っているということ。
自分に、期待している、ということ。
それって、自分のことをとても価値があると知っていて、自分への愛情ゆえに無力感や無意味感に苛まれている自分がいる、ということではないでしょうか。
そんなの傲慢だ、自分の力を正しく見積もることができないだけ、客観視できず自己分析能力が欠如してるだけだ、と捉える人もいるかもしれない。
もしかしたら、そんな風に自分で自分を攻撃するかもしれない。
まあ、それも一理あるかもしれない(笑)
それでも。
やはり、無力感や無意味感を感じるのは、人と自分への愛ゆえだ。
私は、そんな風に思うのです。