小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

母について。2020年。③

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皆さま、こんにちは!愛し合ってますか?

 

おかんシリーズ2020年バージョン続きです。

 

私は、母から(父からも)とても愛されて育ちました。

母とは、前回述べたように、いわゆる友達親子だったし、

それとは別に、母は自分が祖母(母の母)からしてもらいたかった愛し方で、私を愛してくれたのだなと思います。

 

初めての1人暮らしの寂しさと慣れない仕事のつらさでヘルプを出したら、その週末に横浜から名古屋まで来てくれたり(付き合いたての彼氏かよ)。

いつも弟の方が可愛がられて不公平感を感じていましたが(しかし男の子への愛情は女の子への愛情とは別だと男女兄妹の猫を飼って今更理解)、よく考えてみたら、私だけが母とデパートの一番上やホテルの豪華なレストランでお食事していたり。

まあ、単純に一緒にお出かけする比率が弟と私では違ったのもありますが、母曰く、こういうところでのお食事には子どものうちから慣れていた方が他の人と一緒に行ったときに緊張しなくていい、とのことでした。たぶん、若い女子かつ食いしん坊である私が変な男性に食べ物で釣られないようにとの配慮もあったのかも(笑)

 

あれ、話が逸れた。

まあ要するに、私は、母から大切に育てられたのです。

その愛し方は、昭和的、『一杯の掛けそば』的な犠牲成分も含まれていたけれど。動物を見ていても、母親というものはそういうものでもあるのだろうと思います。

 

で、私も、そういう愛し方を受け継いでるなあ。と思うところが結構あります。

 

「自分を大切にできて、初めて人を大切に愛することができる。」という考え方と、

「相手の良いところも悪いところも全て受け容れるのが本当の愛だ。」という考え方。

 

どちらかというと、後者成分が強めの私でした。

この2つは、必ずしも矛盾するわけではないのですが、場面によっては、自分を抑えてでも相手の全てを受け容れる、という方向に行っていまうこともありますよね。

 

ただ、そういう自己犠牲って、自分も苦しいけど、相手も苦しめる。

相手が調子に乗って、自分の我慢が限界にきて「こんなに我慢したのに!」と被害者になってケンカが始まったり。

相手に「こんなによくしてくれてるのに、自分は答えていない。」という罪悪感を持たせたり(これはまさに私が母に感じていた罪悪感と同じ種類)。

 

犠牲をしてしまうのは、愛情深さのあらわれだから、それを責める必要はないけれど。

 

令和だし、今日はおかんの誕生日だし、そろそろ、もっともっともっと自分を大切にして、男の人の優しさを受け取っていいよね?と思っているのです。

ていうか、男の人って優しいし!!

★参考シリーズ

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あ、いや、男性への愛に限った話じゃないんですけれどね。

 

皆さま。いつもありがとうございます。

 

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