小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

できるだけのことをした。の基準が変わってきた。

皆さま、こんにちは。愛し合ってますか?

 

最近、仕事をしていて、「できるだけのことをした。」と自分が納得できる基準が変わってきたなあ。と思うのです。

 

当初の予想とは違う結果になったとしても、

まあ、できるだけのことはしたからいいか。と、思うことが増えたのです。

(弁護過誤とかじゃないですよ!!)

 

昔は、「できるだけのことはしたからいいか。って、

本当に骨身を削って睡眠時間も削って、でも複数ある案件のうちで全てにそんなことはできっこないから、それでも事件の肝になるポイントでは自分を削って頑張って、足りなかった部分についてはたんまりと罪悪感や無価値感、無力感を抱えることで許してもらう(誰に?笑)。

そのくらいしないと、言っちゃいけないセリフだと思ってました。

どんだけ厳しいのよ。

 

いやまあ、確かに、弁護士の仕事は、厳しいです。人の人生かかってます。クライアントさんの支払うお金も安くはありません。

また、仕事の緩急見極めができるようになるまでは、全てのことに全力投球でやっていくのが、セオリーだとは思います。

 

だけど、完璧主義に陥るあまり、

 

あれもできなかった

これもできなかった

 

と、自分を責めるのは、止めた方がいいとおもうのです。時間とエネルギーの無駄だから。

 

自責って、上にも書きましたが、「分かってる分かってる!私ダメなんでしょ??これだけ自分に罰を与えてますから、お願いだからもう責めないで!」って要素もあるんですよね。

 

 

でもね。裁判の結果、特に判決になる場合について言えば、民事刑事問わず、弁護士ができることなんてほんの一部。敗訴濃厚な際に上手く和解して損切りする、客観的証拠が少なくて尋問勝負の案件で尋問技術がものをいうくらい。

原則としては、やっぱりね、当事者ご本人の責任、というか紛争や事件に至る前までの経過、選択が、結果に反映すると思います。

たとえ、理不尽な訴訟を提起された被告側で、降りかかる火の粉を払い除けるような立場であったとしても。

 

だからと言って、「私悪くないもん!」と言ってるわけではないです。

そう読めるとしたら、私の文章力の問題です。ごめんなさいっ

 

予想と違ったかもしれないけれども、できることはした。

感情面のケア等は、むしろ他の弁護士より手厚いと思う。

 

至らなかった点は、すみません。

 

 

でも、私は、私の仕事をした。

 

 

そういうことなのです。

クライアントさんと自分の線引きを適正に引く、というか。

 

それが、自分を守る、ひいてはクライアントさんを守ることに繋がると思うのです。


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