小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

全部、自分が創っている。 ~かわいそうな人になるのを止めて分かったこと。



自分が自分の棲む世界を創っている。

 

このブログでも述べてきましたし、世間でも言われていること。

心理学的にも、宗教哲学的にも、スピリチュアル的にも、様々な観点から、説明できること。

 

でも、本当に最近、実感を伴って、しみじみと思うのです。

自分が世界を創っている、と。

 

降って湧いたような不運としか言い様のない悲しみ苦しみについて、

 

いつまで、その体験を手放さず、被害者でいるのか、

いつまで、手放したフリをするものの、その出来事のせいにして自分の可能性や力を信じず制限をかけて「どうせ自分は」といじけ続けるのか、

いつまで、「この自分がこんな目に遭うなんて許せない!」と怒り続け、人や自分を許さず呪うのか、

いつまで、その出来事は自分が引き起こしたのではないかと疑い自責の念に駈られ続けるのか、

いつまで、その出来事から感じた恐怖や哀しみや寂しさに怯え、まとわりつく不安と仲良くし続けるのか、

 

そして、

いつまで、それらの怒り、恐怖、悲しみ、寂しさ、不安を、無いものにしようとして、或いはそこからできた穴を埋めようとして、何かを得ようとし続けるのか。

 

 

全て、「自分が」決められること。

 

 

かわいそうな人であることを止めて、気がつきました。

 

そして、今、私は、客観的には孤独な部類で、たぶん幸せかどうか微妙な人、かわいそうな人と言うこともできる人なのだと思うのですが、

「私自身は」、なぜか、満たされていて、豊かな気持ちを感じています。

 

自分が世界を創っている、とは、不運としか思えない出来事を、あなたが創った、引き寄せた、という話ではありません。

そんなことを言ったら、青信号横断中の自動車事故の被害者なんて、踏んだり蹴ったりです。

ただ、その出来事から生じた感情の数々は、最終的には、選ぶことができる。

 

ひとしきり、怒り、悲嘆にくれる阿鼻叫喚の感情(そうした感情も実は感じたくて経験している、と思えるようになると世界の見方が変わります)のあとに、

どう在るか、は、私たちそれぞれが、選ぶことができます。

 

 


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