小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

私たちは、大人になった??

去勢・避妊した猫は、精神的にも、仔猫の心のままでいることが多いという。

 

うちの猫たちは、私の都合により、去勢・避妊手術を受けた。

そのおかげか?2人とも、タイプは違うけれど、甘えん坊・甘えっ子で、仔猫気分なんだなあと思う。人間の私からするととても可愛らしいけれど、猫からするとどうなのかなあ、などと、たまに思いを巡らせる。


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私も、子どもだった。当たり前だけれど。

 

いったい、いつ、私は、大人になったのだろう。

 

初めてお酒を飲んだ時、たばこを吸った時?

初めてお金を自分で稼いだ時?

初めて性行為(法律家風に笑)をした時?

社会人になった時?

一人暮らしした時?

結婚した時?

親の死を見送った時?

 

 

喪失のおそれを乗り越えて、猫たちと暮らすようになった時?

 

 

自分や人の甘えや弱さを許せるようになった時?

いつかは自分も死ぬんだ、と覚悟した時?

 

これまで私と出会ってくれた全ての人々に感謝をできるような気持ちになった時?

自分の痛みよりも人に笑顔を与えることに喜びを見出すことができるようになった時?

 

こういう人生を選んで創っている自分のことを、なかなか面白いクリエイターだな、と好きになった時?

 

 

理屈っぽい話をすれば、

前提となる「大人」の定義が定まっていない以上、いつから大人になった、などと判断することはできないし、

「大人」の定義についても是々非々あるのは当然だし、

かりに、この記事かぎりということで私が独断で大人を定義したとしても、結局のところ、いつ私が大人になったのかは判然としないのだろう。なぜなら、私が考える大人は、年齢や何らかの行為の経験等の外的基準ではなく、極めて内的な基準になるため抽象的だし、様々な経験を経てこうなった、としか言いようがないからだ。

もう少し分かりやすく言えば、大人になるプロセスとは、例えて言うなら、螺旋階段をぐるぐると昇りながら、「こんなに歩いたのに距離の割に全然高いところまで行けない感じがしてならない。もーう、また真下の景色が同じだ!」などと思いながらも、ある時ふと気が付くと、「わあ、こんなに高いところまで来ていた!」と気づく、そういうものだと思う。法律の勉強でもよく螺旋階段の例えは使われるのだけれど、人生も本当にそうだな、と思う。

 

と、まるで、私がもう大人であるかのような書きぶりをしてしまったが。

 

私は、大人なのかな?

どうなんだろう??

 

大人の時もあれば、子どもっぽい時もある、そんな自分でもまあいいか、と思える程度には、大人かもしれない。


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