私は、職業柄、離婚する予定の方や既に離婚した方々と、普通の人より数多くお会いしてきました。
そこで感じるのは、離婚したい側の愛情の受取り拒否です。絶対的拒絶と言ってもいいくらい。男女は関係ありません。他に好きな方がいるかどうかもあまり関係なさそうです。
オレは、私は、絶海の孤島で独り(子どもと)生きていきますから結構です!!くらいの固い決意を感じます。取り付く島もないとはまさにこのこと。
相手方が何かこちらに譲歩してきたり、情に訴えるようなことをしたなら、即座に、「どうせ●●でしょ。」という非難が始まります。●●には、お金、見栄や体裁、浮気相手に振られた、子どもに会いたいからご機嫌取り、私を都合良く使いたいだけ、等々が入ります。
ご存知のとおり、「どうせ●●」は、拗ねです。
ええ、拗ね。
ピザピザピザ・・・って10回言って「ここは?」と言って脛を指すゲームじゃないですよ。あれは肘か(笑)
相手が自分のことを愛するはずがない、と先に思っておくことで、本当に愛されていなかった時のショックを和らげる、心の作戦です。自己防衛です。
かつ、何なら相手から「そんなことないよ。愛してるよ。」と言って欲しい、でも自分から言いたくない、誘い受けです。
もちろん、離婚への途上の方にとっては、お相手の愛情を受け取ってしまったら、未練が出てきて、離婚の決意が揺らぎ、離婚できなくなってしまうかもしれないから、防衛的になるのも理解できます。
あんなこと(例えば不貞行為、モラハラ)をされて、相手を許してしまったら、傷ついた自分がかわいそうですもの。あんな人のためにあんなに我慢して、裏切られて、それで許すなんてムリ!むしろ爆破する!!ってなりますよね。
ただ、第三者の私から見ると、それは、あなたの優しさです。素晴らしい愛の才能。
それだけたくさん愛して、傷ついたから、怖くなっているだけ。
だから、(元)配偶者からの愛を受け取ってみたら良いと思うのです。あなたには、その価値があるから。
あちらの愛情は、不器用な表現かもしれません。向こうも、あなが離婚したいくらい怒っていることは分かっているわけですから、恐る恐る愛情表現をしますよね。きっと、その形は不器用です。
でも、きっと、あなたも、心のどこかで分かっていると思うのです。それが夫(妻)の精一杯だと。だって、結婚しても良いと思って実際に結婚するくらい好きだった人なんだから。ひょっとしたら、夫(妻)自身よりも、あなたの方が、彼・彼女のことをよーく知っているかもしれません。
それでね。
受け取った結果、離婚をするのやーめた!って言っても全然大丈夫です。前言撤回するなんてみっともない、女(男)に二言はない、相手にバカにされる、って、確かにそりゃあ多少カッコ悪いかもしれないけれど、長い目でみたら、幸せな方が良いんじゃないかな?と思います。
もちろん、受け取った結果、「ありがとう。自分の心に聞いて悩んだけれど、それでも、やっぱり、離婚します。」でも、全然大丈夫。粛々と協議や手続を続ければいい。
けれど、愛を受け取っているのと、いないのとでは、おそらく、あなた自身の心の余裕が違う。お相手の納得感も違う。あなたが愛を受け取ったけどそれでもダメなら、お相手は、きっと「できる限りのことはした。」と感じることでしょう。
既に離婚された方も同様です。
お相手なりの愛情、
すんなり離婚に応じてくれたことかもしれないし、
別れる時にかけた一言や交わした握手かもしれないし、
財産を分与したこと、養育費を支払っていることかもしれない、
揉めに揉めた末にやっと離婚に応じてくれたことかもしれないし、
子どもに会いたいと言ってくることかもしれない、子どもの進路について相談してくることかもしれない、
もっと不器用な場合はわざとこちらの嫌がることをしてくることの場合も。
もちろん、受け取る受け取らないは自由だし(特に嫌がらせ的な行動)、
だけど、自分の中で「この人の愛情を受け取っても自分は揺るがない。結論が復縁する・しないのいずれにせよ、自分というものはもう揺るがない。」と心から自信を持つことができるとき、不思議と、嫌がらせ的な行動さえも相手の不器用な愛情だったんだなあ、と思うことができるものです。
過去の傷ついた自分を許したからなのかなあ、と思います。
そして、愛情を受け取ることは、自分の渡した愛が循環して戻ってくるということです。
自分にはその価値がある、と、他ならぬあなたがあなたご自身に対して、承認してあげる作業でもあります。
つまり、あなたの愛の器の養分になるのです。
ぜひぜひ、受け取って下さいね。
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