小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

もう一度、手を伸ばす。

幼いころ、母の手は、弟のものだった。

 

私は、いつも、父の手を握っていた。

 

「ママがいい。」と言うと、母に「お姉ちゃんでしょ、我慢しなさい。」と言われたし、父が少し悲しそうに見えたので(笑)、そのうち、このグループ分けは固定化された。

 

私が10歳の頃、父が突然亡くなった。

 

私は、もう親の手を握って出掛ける年齢ではなかった。

けれど、バランスが崩れた。

母は、頼る背中を失ったし、弟は、女の中に男が1人になってしまい大人になった後の父親のモデルを失ったし、私は、握る手を失った。

 

私は、優等生な側面もあったけれど決して良い子ではなかった。

思春期から大学生までは、母に反抗して大喧嘩もしたし、夜遊びしたりもした。

ただ、もし母も亡くなったら弟を育てねばという緊張感は子ども時代常にあった。

 

その後、私は、社会人となり、適度に自立し、幸せな日々を過ごした。

が、31歳で、離婚をした。

 

私が33歳のころ、母が病気になり、亡くなった。

私が苦労をかけすぎたせいだと、思った。

離婚して出戻りをして、働きもせず大学院に行った親不孝な自分(と思っていた。母は私の進学を喜んでいたのに。)を呪った。

 

晴れて弁護士になってからも、「私は人一倍頑張って結果を出さなければ存在価値がない。」と固く信じていたし、

そうはいっても頑張りきれないし結果も出せない(と思っていた)自分を嫌った。

 

人に助けを求めることなんてできなかった。

それは、自分がスゴいんだと人に見せつけたいからではなく、私なんかが助けを求めても迷惑だと思ったからだ。

「私のことは放っておいても大丈夫」という周りの期待に応えなければ、私は居る意味がないと思ったからだ。

 

だから、人に助けを求めるにも、負担にならないよう、分散してお願いしたり、ほんの少しだけお願いした。

たまに助けを求めても、相手が困ったような感じだったり、スルーをされたら、「ああああ、ウソウソ、ごめんなさい、忘れて下さい!」と即座に引っ込めた。

それでもしんどいときは、親しい友人にものすごい重荷を話して、時に無意識に荷物を背負わせ、困らせた。

 

大丈夫じゃないのに、「私、大丈夫。」と言い続けたし、思い続けた。

人の役に立ったり、本音を我慢して尽くしたりすることで、居場所を作って自分に存在価値を見いだそうとした。

傷ついた人を勝手に助けようとした。

 

本当は、助けて欲しいのは、自分だった。

けど、助けてとは言えなかった。

 

それがあまりにもしんどくて、孤独で、私は全然大丈夫じゃないんだと気がついた。

 

時に人に依存してしまったり八つ当たりしてしまいつつ、自分と向き合い続けて、まずは自分が自分の一番の味方になった。

少しずつ、少しずつ、上手に人を頼れるようになった。

 

まみこちゃんも、人を頼れなかったという点で、私と同じ種類の人だと思う。

 

そんな彼女が、愛する家族のために「助けて」と言った。

 

彼女は、もう一度、自分から人に手を伸ばした。

そこに手があるのか分からなくても。

 

募金やクラウドファンディングの手法に関して、色々な意見はあるだろう。

目的についても、自分の家族のためとなると、批判的な意見もあるだろう。

私は、それはご意見として伺うけれど、議論するつもりはない。(私に対して直接は何のコメントもない気もするが)

 

私は、ただ、長い間誰にも助けを求めることができなかったまみこちゃんがこうして声を上げたことに、心を動かされた。

だから、応援する。

 

そして。彼女にありがとう、と言いたい。

私も、再び手を伸ばす勇気を貰ったから。

 

ありがとう、まみこちゃん。

 

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