小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

「幸せになったら怖いんだぞごっこ」をしている。②マインド編

皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?

 

こちらの記事の続きです。

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前回は、自分が幸せになりそうだと感じた時に反射的に出てくる身体反応、すなわち過緊張から来る頭のビリビリや胸のザワザワや上腹部のキュッとした不快な感覚に様々な角度からアプローチする私流の対処方法をご紹介しました。

 

今回は、マインド編です。

キーは、信頼、対等性、そして投影。

 

まず、順番が前後しますが、前提として、投影についてお話したいと思います。

これまでも何度かお話してきたように、私は、世界を自分が創っている、つまり、起きている出来事の事実に対して自分がどのようなものの見方をするかは自分次第であり、そのものの見方は、自分の内的世界(いわゆる観念、経験則等)によって決まる、と考えています。自分の内的世界を、外側に投影している、というわけです。

分かりやすい例えで言うと、新型コロナウィルスに対する身の処し方などは、まさに各人の内的世界、すなわち不安、信頼、外出を楽しむことへの考え方、責任感、生命に対する価値観等の投影だと思います。道を歩いていれば交通事故に遭う可能性もあるけれど外出する人が大多数であるという考えを新型コロナウィルスに敷衍して外出する人もいれば、自身や家族の年齢や基礎疾患等により外出を制限する人もいる。それは、どちらか一方が正しくて他方が間違っているということではなく、人それぞれの価値判断の相違です。

そして、そうした身の処し方の違いによって、行動制限の質量は当然変わりますので、各人が見る世界は異なって来る。これまでと若干異なる世界になったと捉える人もいれば、自由が著しく制限された世界になってしまった、と捉える人もいますよね。

 

●ご参考

 

今日の本題についてみると、「幸せになるのが怖い」という世界の住人は、「幸せになったら怖いんだぞ」という観念(思い込み)を採用しているから、目の前の幸福に手を伸ばすことが怖くなるわけです。

おかしな話ですよね!幸せになるのが怖いなんて!でも、次に述べるように、皆さまにもきっとよくあることなのです。

 

 「幸せになったら怖いんだぞごっこ」をしているので、幸せになったら、嫉妬される、誰かを傷つける、孤独になる、等々と思い込んでいるのです。そして、その思い込みを強化するために、過去の体験を証拠としてせっせと集めている。

例えば、子どもの頃にパパから抱きしめられるとママが不機嫌になった、口紅など女性的なものに興味を示すと母親から怒られた、学校の授業でたくさん発言したら同級生からからかわれた、友人グループで自分だけ彼氏(彼女)ができたけれど何となく惚気られない、親や先生からモノや能力について「見せびらかしてはならない」と言われた、自分だけ上司から可愛がられたり良い評価を受けていて同僚に気が引ける、マリッジブルー、結婚したら(子どもができたら)立場の違う友人たちに気を使うようになってしまった、宝くじに高額当選したけど周りの目が怖くて誰にも言えない、等々。

そうして「幸せになったら怖いんだぞ」という観念(思い込み)を強化しているうち、普段は意識していなくても、何となく、「私は少し不幸せな方が人から好かれる、上手く世渡りできるようだ」という派生的な観念(思い込み)までも派生させてすくすくと育ててしまう。

 

嫉妬が怖い、人を傷つけるのが怖い(罪悪感が怖い)時の対処法は、いくつかあります。

 

まずは、

①自分よりも幸せな人に会う。

 

世の中には、幸せな人はたくさんいます。

優れているとか成功しているとかは関係ありません。ご存知のように、社会的成功と幸せは必ずしもイコールではないからです。言うまでもなく、本人が「幸せスイッチ」を切ってしまっていたら、どれだけお金があってと幸せではありません。

会社員をしながら週末は地域の子どもたちにサッカーを教えるのが生き甲斐で4年に一度ワールドカップに行く時が最高の幸せ、という方も知っていますし、

地方の山奥で、米や野菜を育て、山菜や木の実を収穫し、昔ながらのお手製の保存食を作り、工夫しながら手仕事をする、そんな暮らしに幸せを感じる方もいるし、

病気や障がいに感謝して暮らす人もいるし、

1人暮らしが最高に楽しい人もいる。

もちろん、経済的にも精神的にも豊かで幸せな方もたくさんいる。

 

どんな形であれ、幸せな人たちに会い、その幸せオーラをお裾分けしてもらう。

幸せな人の心の豊かさを体感する。

幸せが、ちっとも怖くないことを知る。

 

②過去の嫉妬した自分を許す。

 

また、他の投影として、過去に幸せな人にたくさん嫉妬した分だけ、自分が幸せになることが怖い、ということもあります。それはそれは怖いですよね。自分のどろどろした感情を嫌っていたとしたら、尚更。

 

この場合、過去の自分を許すことができると、将来かりに嫉妬されても大丈夫になります。「そうだよね~私も嫉妬しちゃったもん。」てなもんです(笑)

心のどこかに、「私は聖人君子であるべき」といった優等生気質やいい人仮面を被る癖があると、嫉妬した自分の競争心を許せなかったり(きょうだいなのに、友だちなのに嫉妬するなんて自分は醜い心の持ち主だ、とか)、嫉妬を嫌います。自分も嫌いになります。

もちろん、嫉妬心って、「自分には●●がない」という自分に対するダメ出しの結果ですから、苦しいですし、感じたくない、できれば抑圧したい感情ですよね。

ただ、誰かに嫉妬するときは、潜在意識が他人の中に「本当はこうなれる自分」を見ているから、とも言われます。そして、嫉妬を生み出す競争心は、ポジティブに働くこともあります。いわゆる自分磨きの原動力になるのです。

 

また、努力ではどうにもならないように思える性質(容姿や生来の環境等)についても、その妬ましい相手をよく見れば、彼ら彼女らなりの後天的な努力や魅力があったりするものです。本当の並外れた天才には嫉妬しないものですし(私は将棋の名人やサッカーのスーパースターになりたいと思わないし笑)。

その後天的なものは、きっと自分にもインストールできる。

 

いかがでしょう?

こう考えると、嫉妬も、憧れに変えることもできるし、学びの種にもなるのです。

 

そして、嫉妬をそんな風に変換できたら、自分のことをもっと好きになる気がしませんか?

もちろん、できなくてもOK。

まずは、嫉妬する自分を認めることから。

 

③自分と人を信頼する。「かわいそうな自分」じゃなくても大丈夫だと。

 

そして、自分の外側から幸せ受け入れ体制をインストールしたら、最後は、自分の内側を信じるのです。

 

私は、「かわいそうな私」じゃなくても、愛される。と。

 

ちょっと不幸せ、ちょっとかわいそうな人ポジションに自分が入るのは、人と優劣を競っているからです。

少し自分が下がっていれば、自分を弱いものとして扱っていれば、攻撃されない、優しくされる、時には自分の問題すら誰かが何とかしてくれる、というメリットがあるからです。

 

でも、「かわいそうな私」でいることが癖になると、

自分が自分の人生を生きる喜びを喪失し、本当の幸せを生きることを自ら放棄してしまいかねません。

 

もちろん、人間は弱い生き物ですから、いつも1人で何とかするなんてことはできません。

人と助け合って生きていくものです。

 

けれど、あなたは、私は、自分の人生を自分で生きていく力がある。

自分のことを、そう信頼してみませんか。

 

そして、周りの人たちも、「幸せなあなた」を喜んでくれる。

周りの人たちのことを、そう信頼してみませんか。

 

幸せは、すぐそこにあります。


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