小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

愛されていることに気が付くと、拗ねていられなくなってしまうから、気が付かないふりをしていた。

 

前の記事で、私は本音を言うのが苦手だ、という話をしました。

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実は、最近、私は、自分が心の奥底に隠していた本音を発見しました。

あまりにも酷くて、これは外には出せられないわあ、と思っていたのですが、勇気を出して、披瀝いたします。

 

お前らに私の孤独が解ってたまるか。

という拗ねた気持ちが、私には、あるようです。

 

うわあ、引くわ~・・・。周り人々からの恩を仇で返すこの発言。愛情の受け取り拒否。中二病。校舎の窓ガラス全部割って、ついでに隣の中学まで行って原付で校庭をぐるぐる回りそう(昭和~平成初期ネタ)。

ちなみに、この言葉は、瞑想中にやってきました。ううっ、瞑想怖い。

でも、見方を変えれば、こうして心の奥底にうっすらと汚泥のようにへばり付いていた感情が出てきたということは、もうこの感情を手放しても良い時期が来た、ということなんですよね。

 

どうして私はこんなに拗ねてしまったのかな、というと、色々な理由があるのですが、やっぱり主には、弁護士になるためにめちゃくちゃ頑張って勉強して、おかげで弁護士になったものの、仕事がしんどくて仕方がなくて、でも辞めるという選択肢はなくて、自分がどうありたいかも分からず、家族も居なくて、自分で自分を助けることができず苦しんでいたからだと思います。「主に」が長いな(笑)

 

あと、さらに本当のことを言ってしまうと、最初の言葉としては「お前らに分かってたまるか。」というインスピレーションが来ましたが、実のところ、主には、弟に対して「分かってたまるか。」と、思っていたようです。

私の弟は、一流企業と言われる会社に勤め、妻と子ども達がいて、私とは反対の安定した生活をしています。そんな彼の人生を、ぶっちゃけ羨ましく思う時もあります。弟は弟で私を羨ましく思う時もある・・・、のかな?

ちなみに、私は、弟や弟の奥さんと仲良しです。弟の奥さんは、私のブログも愛読してくれているくらい。(だから、言えるのだ。)(マジでごめんなさい。) 

 

あと、私の母よりも孤独で過酷な状況に自らを置くことによって、母への罪悪感を償うために、自分を罰してきたのかも、とも思いました。

私が孤独であり続ければ、少なくとも母の人生は、私よりは寂しくなかった、マシだった、ということになると心のどこかで思っているのかもしれません。頭ではそんなのおかしい、母は私の幸せを望んでる、って分かっているのですが。

私の母は愛情たっぷりな人でしたが、その愛情の示し方は、昭和のお母ちゃんの「一杯の掛けそば」的な若干犠牲的な香りのする愛情でした。「母ちゃんはいいから、あんた達食べなさい。」みたいな。そして、母は私に親孝行をさせてもらう間もなく死んでしまったので、私の中の母のイメージは、いよいよ「子どものために人生を犠牲にした人」になってしまいました。

それが娘の私から見ても不憫で、謎の罪滅ぼしをしているのかもしれません。

 

はたまた逆に、母に勝ちたい、マウンティングしたい謎の感情もあるようです。「あなた何だかんだ言って子どもが2人いたじゃない。私を見なさいよ。私の方が孤独なんですけど?」って。心理学についてご存知でない方には分かりにくいかもしれませんが、父の愛情を得たくて、母と競争してるのかもしれません(エレクトラ・コンプレックスと言います。)(ちなみに、以前、私はエレクトラの勝者だと言われたことがあり、そうだとしたらこれも罪悪感の補償行為なのかも?)。

 

これって、ものすごく、母に対して失礼なのです。私の都合で、母を弱い人・不幸な人にしてしまっているから。

ついでに、私に対しても失礼なのです。自分を不幸ゲームの主人公にしてしまっているから。

 

ところで、話が変わりますが、先日、昔付き合っていた人と、久しぶりにご飯を食べました。

彼のことについて、さすがに詳しくは書けませんが、私の中では、元夫の時以上に、自分の弱いところも強いところも、全てさらけ出した恋愛でした。そのやり方は、たぶんお互いにとても無器用でしたし、本当にたくさん泣いたし幸せだったし、最悪だったし、最高だったし、酷かったし、優しかった。

色々な理由があってお別れして、たまにご飯を食べたりすることもちょっと無理、と言われていたのですが、だいぶ時間が経ったので、普通に楽しくランチをして、心が和むひと時を過ごしました。

 

その後、ふと思ったのです。

「ああ、私は、彼から愛されているんだな。」と。「私も、愛しているんだな。」と。

 

それは、よりを戻したいとかそういうことではなく。

彼より素敵な人はもう現れないわ、とかそういうことでもなく。

ただ、質量は変われど、ずっと愛されていたし、今もそうなんだな。と思ったのです。

以前、元夫の愛情を受け取ることができた時と、似た感覚でした。

 

ただ、その時と今回が違うのは、反射的に、「愛されているのは、まずい。」と思ったのです。

 

なんでまずいんだろう。

 

当初は、頭で考えてもよくわかりませんでした。心の中のことなのだから、愛されていた方がいいに決まっているのに、腑に落ちませんでした。

 

でも、分かったのです。私の本音が。

 

愛されていることに気が付くと、拗ねていられなくなってしまうから。

「お前らに私の孤独が解ってたまるか。」なんて言えなくなってしまうから。

 

拗ねていれば、不幸で居続ければ、

弟や母や父に「私、こんなに不幸だよ!」とかわいそうな私を見せつけることができるし、

罪悪感の償いを続けることもできる。

 

でも、この私の暗闇は、「愛されていない不幸な私」が前提となっている。

それなのに、本当は愛されていたし、今もそうだ、ということが分かってしまうと、実は、彼だけでなく色んな人達からずっと愛されていた、ということが分かってしまう(愛情は受け取れるようになると、自動的にどんどん気がつくものなのです。)。前提が崩れてしまう。

拗ねていられなくなってしまう。

それは、困る。

 

と、私の心の奥深く、おそらく潜在意識は、考えていたんじゃないかな、と思います。

 

でも、もういいかな、と思うのです。

極めて薄く、一見気が付かないほどにべったりと心に張り付いていた汚泥のような拗ねていた気持ちも、本当は、深く深く家族を愛しているから、定着してしまったんだなあ。と分かっているから。

 

そして、ずっと頑なに自分を孤独に追いやってきたもう1人の私を、もう許してもいいかな、と思うから。

 

皆さまに、私に。心から、ありがとうございます。


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