私は、図々しい子どもだった。
いや、今も、遠慮しいなところもあるけど、基本的には図々しい大人である。
だから、母から、「母ちゃんはいいから、あんた達食べな。」と一杯のかけそばを差し出されても(比喩です)、「え、いいの?ありがとう♪」などと言って、しれっと蕎麦を食す、なんなら弟の分まで食してしまっていた。
私が20代の頃までは、そんな図々しいヤツでも何となく許されてしまう、ワガママ長女ポジションにいた。それは、家族内だけではなく、仕事でも、年齢を重ねるとともにしっかり者の姐さん役もこなすようになってきてはいたものの、ワガママぶりを発揮するときはしていた。
ところが、20代の終わりに元夫と別居し実家に帰ってきて、その後30歳過ぎに離婚し、ロースクールに入学したと思ったら、母が病気になって、1年足らずで亡くなってしまった。
この体験は、子どもの頃に、親が怒ったりした時や、父が亡くなった時に、「私が悪い子だからだ。」と思って自分を責めた、あの罪悪感を強烈に思い出させた。罪悪感様が大きくなって復活してきたのである。
私は、猛省し、急激に自分の人格を変えようとした。
似合いもしないのに、まず人を優先して自分は一歩下がるようなキャラ変をしようとした。違う自分になろうとした。
かけそばを、「私はいいから、みんな食べて。」と譲る人になった。あの時、私が母の分まで蕎麦を食べちゃったからこんなことになったんだ、バチが当たったんだ。もう、二度とこんなツラい思いをするのはイヤだ。人を看取るだけならともかく、その後にこんなに後悔するなんて、イヤーーー!!という強い強い自己否定の思いに加えて、ちょうど30代で一般的な大人の年齢になっていたことや、ロースクールの同級生は半分以上が10~11歳年下で、姐さんポジションにいたことも、「私的かけそばを譲る大人化計画(以下、「大人化計画」)」の実行に拍車をかけた。
この大人化計画は、着々と遂行された。
何しろ、遂行の理由は年々強化されるから。人は歳を重ね、大人になっていくものだし、私が社会的地位が高いとされる弁護士になったことも後押しした。「大人とは、自分のことは横に置いて、人にかけそばを譲るものである。」という、私の観念を変えない限り、大人化計画は終わる理由がなかったのである。
とはいえ、「べき・ねば」という観念に縛られ続けていれば、どんどん自由がなくなり、息苦しさを感じるものである。
私もそうだった。なので、大人化計画は、止めることにした。約3年前のことである。
で、思ったんだけども(急に口語体)。
そもそも、かけそばを分け合えば良かったんじゃない?お母さん!
おかんが言えなかったなら、私が言えば良かったんだな。
「母ちゃんも一緒に、かけそば食べよう。」って。
あ、ただ、そう言えなかったことを後悔してはいません。その時の私には、子どもらしく図々しく頂くしかできなかったから。仕方ないよね~
まあ、一緒に食べる方が、令和っぽいと思うし、私も好きだけれども。当時は、昭和だったもの。
シェアするって素敵だよね。
(今の時期は食べ物は難しいけど!)
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