小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

『正解』で振舞わなければ、人から愛されない・認められないと思っているあなたへ。失敗しても大丈夫、ていうかそれは失敗じゃないよ、とお伝えしたい。

皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?

 

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今日は、このお話の続き、というか、少し角度を変えたお話です。

『正解』で振舞わなければ、人から愛されない・認められないという「正解主義」。

自分の少しのミスも許せず、仕事のプレゼン、慣れない人との面談、飲み会等の後に、一人反省会を繰り広げて、ついつい自分をダメ出ししてしまい苦しくなるという弊害があります。

 

正解主義に陥る理由

私たちは、大人になるにつれて、1点でも足りなければ落とされる試験や、ミスをしたら重大な影響があり自分の責任を問われる仕事、1つの言葉や振る舞いが子どもの心身を傷つけてしまうおそれのある子育て、等々、「間違ってはいけない」という体験を多くしていきます。

その中で、もちろん、全てを完璧にできるはずもなく、失敗や挫折も味わいます。人間だもの。

失敗、挫折は、大きな心の傷となります。時に、この心の傷がリベンジの強力なモチベーションとなることもありますが、自分の失敗や挫折感を受け容れることができていないと、闇に蓋をする、すなわち感情を抑圧することになり、抑圧した弱い自分を隠さなければならない、という思い込みが創られます。

 

そして、この思い込み(弱い自分はダメだ、間違ってはいけない)は、仕事等のみならず、プライベートな人間関係を含めた全てに適用されるようになります。人間、そんなに器用に公私で自分を使い分けできないですよね。

 

正解主義の弊害

正解主義によって、自分を抑えてしまうと、自分へのダメ出しにエネルギーを使い過ぎ、いつまで経っても自信を持てない、本来のありのままの自分で生きることが難しくなる、等の弊害があります。その他にも、次のような弊害があります。

 

①人との距離が遠く表面的な人間関係になってしまう

器用な人は、「これくらいのダメな自分は人から親しまれるためにOKだけど、これ以上ダメな自分はダメ」などと心の中に線を引いて、「自分の考える正解」の程度に、ダメな自分を開示したりします。例えば、テレビのトーク番組とか、そんな感じが多いですよね。境界線を踏み越えないようにしている人が多いというか。

線を引いているので、どこか緊張感が伝わって、表面的な人間関係しか築けないという弊害があります。

 

②自意識過剰になってしまう

正解主義の人が「正解できなかった、失敗した!」と思うと、自分にばかり意識が向く、いわゆる自意識過剰な状態になりがちです。そうすると、周囲の人に対して意識が向かないので、挙動不審になってしまいます。

また、羞恥心が強くなり過ぎて、自分へのダメ出しスイッチが入りっぱなしになってしまうと、自信がどんどんなくなってしまうので、周りの出来事をフラットに見ることができず、「どうせ私はダメだ、愛されない、認められない」という前提で、物事を見てしまいます。

 

③正解した場合に過剰に承認を求めてしまう

正解主義に陥ってしまうと、間違えることへの不安が大きいぶん、その反動で、正解した時にはドヤ顔で「私、正解したでしょ!偉いって言ってよ!」と他人からの承認を求めてしまいがちです。

時には、承認してくれない人(愛してくれない・認めてくれない人)を「正解したのに、そんな態度なら要らない!」と斬り捨ててしまったり。自分にとって大切でない人ならまだいいですが、大切な人まで斬り捨ててしまうこともあります。一般に、心の距離が近い人に対しての方が、承認欲求が大きくなるので、承認して欲しい・愛して欲しいという期待も大きくなってしまうのです。

大切な人を斬り捨ててしまって、後悔してしまうことも。

 

④①~③を繰り返すうち「自分は正解しないと価値がない」という観念(思い込み)を強化してしまう

結果、正解主義による負のスパイラルに陥ってしまいます。

 

正解主義は悪いところばかりではない

とはいえ、正解主義は、決して悪いところばかりではありません。

特に、弁護士もそうですが医療・介護・教育職等に従事されている方や、経営者や管理職の方は、どうしてもお仕事柄正解主義の傾向が強くなりますよね。

仕事や育児などの生活においては、努力家、正確無比、丁寧、慎重、気配りができる、等の資質で表現されることも多く、結果として、周囲から信頼されている人も多いのではないでしょうか。

だから、正解主義を止める、というよりも、「正解しなければ自分には価値がない」という思い込みを緩めてあげて、「失敗しても大丈夫」と思えるようになって頂けたら、きっと楽になると思うのです。

 

そもそも、それは失敗ではない

それに、そもそも、失敗は、経験、データに過ぎません。

その経験からデータを取って、再度又は新たに挑戦をすれば、失敗は失敗ではなくなります。

 

失敗と思う経験によって傷ついた心を癒し、他ならぬ自分自身がその経験を受け容れ、認め、許すことができれば、

心の底から、その経験で得られたギフトを受け取ることができますし、「あの経験があったからこそ、今の自分がある」と思えるようになります。

次は、もう一度立ち上がってチャレンジする意欲が湧いてきます。

そして、行動するうちに、活力が芽生えてきて、人から見た成功とか失敗よりも、自分自身が生きていて良かった、楽しい、と思えるようになります。

過去の自分と同じように苦しんでいる人に対して、大丈夫だよ、と声を届けることができます。

 

私自身も、遡れば、学生時代の友人関係、進学、就職、離婚、無職期間に母を助けられなかったこと、弁護士になってからも周りと比べたり自分に過大な期待をして落ち込んだりしてきたこと、恋愛、等等、失敗だらけの人生です。(詳しくはこちら!長いよ(笑))

 

でもまあ、私なりに一生懸命やってきたし、いろんな経験があったから、20代30代のころには予測もできなかった生き方が今できているんだな、と思います。

私は、今でも、正解しようとする癖がありますし、それゆえ「間違えた!」と落ち込んで勝手に引きこもって孤独になろうとする癖もありますが、そんな時間を過ぎた後、自分のことを受け容れることができると、

 

私は1人じゃないんだなあ。今も、これまでも、これからも。

 

と、謎の根拠なき暖かい気持ちになるのです(客観的には独りなのに!あ、猫たちがいる笑)。

 

みなさま。

正解しなくても、大丈夫ですよん。


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