小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

自虐についての一考察。



皆様、こんばんは。愛だろ、愛!

 

自分を誉める/誉められるということの逆は、自虐だよね、ということで、今日は、自虐について考えてみます。

 

誉めてもらった際に受け取れないとか、過去の自分を誉めることは意識しないとなかなかできないとか、

その原因の1つとして、自虐的になった方が、世の中を渡りやすい、ということがあると思います。

 

私の場合、

 

私はもう良い歳ですから、

私なんて大したことないですから、

この前なんてこんなアホなことやらかして、

 

と言っておいた方が、

周りから安全な人だと思ってもらえて攻撃されないし、

妬まれて嫌な思いをすることもない。自虐ばんざーい

 

と、イヤらしい思いを持っていました。

 

そして、皆に笑ってもらえれば幸せ、とも思っていました。

 

これって、上に書いたような自己防衛機能の他に、

自分の限界を自分で設定して可能性を制限してしまったり、

他人の目を自分の生きる基準にしてしまって自分が本当はどうしたいのか分からなくなってしまうという弊害があります。

 

で、自己防衛について、私は、今日、大きな気付きがありました。

 

私は、10代後半から20代の頃に、当時付き合っていた初めての彼氏と、彼の申し出により別れることになって、でもそれを受け入れられなくて、それはそれはみっともないことをしました。

 

当時は携帯がなかったので、彼の自宅に鬼電したり、

会いたくて彼の自宅最寄り駅で待ったり、

共通の友人達との飲み会帰りに酔っぱらって「別れたくない!」と泣きわめいて、最終的には道路で3歳児のようにジタバタして友達にタクシーに放り込まれたり。

 

もう、久々に思い出しても赤面ものの恥ずかしい言動をしました。

 

で、その彼のことは、大学卒業と同時になぜか忘れてしまい、元夫と出会ったわけですが。

 

この経験は、いわゆる黒歴史として、私の中に刻み込まれ、たまに、周りに対して自嘲気味・自虐的に「いやあ、私、ストーカーだったからさ~笑」等と笑いのネタにしていたのです。

 

でも、よくよく考えてみると、

そうやって、自虐ネタを披露する度に、心の奥深いところで、自分で自分に対して、

 

私はダメな女だ

本当の私は執着が強いんです

でも、それは自分で分かってます

分かっていますからどうか攻撃しないでください

皆さん、私を許して下さい

 

というメッセージを送っていたんだなあ。

と思いました。

 

そして、その後も、そういう執着心が疼く度に、

「こんな私はダメだ。嫌われる。」

と、自分で自分にダメ出しを続けてきたのです。

 

本当は、どんなに周りから笑われようとも、私だけは、そんなにも彼のことを好きだった自分の味方でありたかったのに。

 

 

これからも、私は、処世術・サービス精神・単なるお笑いのネタとして自虐ネタを使うと思うけれど、

自分で自分を貶めることは、もう止めようと思うのでした。

 

いやあ、恥ずかしいわあ。。。

あるゆる時効は完成していますが、そんな自分がいたこと、あの時はそんなにもその人のことが好きだったことを、久々に思い出しました。

 

(あ、ちなみにこの方とは今は普通に友達です。念のため。。笑)


f:id:masamiogw:20191218005136j:image