生前、病気をする前の母は、「ありがとう。楽しかったよ!」と、死ぬときには言いたい、と、よく言っていました。
私と母は、父が37歳で早世した影響か、割とよく、死について話をしていました。
実際の母の臨終場面では、母は、痛みからようやく解放されるというような、穏やかな表情を浮かべていました。
私たちがたくさんの感謝の声がけをしていたら、最期に、一筋の涙が母の頬を伝いました。
聴覚は、一番最期まで残る感覚だというから、私たちの声が届いたのだと信じています。
亡くなった人への後悔は、付き物です。
臨終の場面に立ち会う間もなく逝ってしまった父の時と比べれば、
母の時はまだ良かった、立ち会えたし、弁護士にならないまでもロースクールには行っており母を一応喜ばせることができたし。と思っていました。
でも、後悔は、尽きない。
なんでもっと優しくしなかったんだろう、というお決まりの後悔に始まり、
墓の前にも孫の顔を見せられなかった、
私がもっと早くに弁護士になっていたら、母の能力を活かして事務を手伝って貰って、母にも生き甲斐をあげられたのに、
という、客観的に見ればどうしようもなかった後悔。
そして、何より、
なぜ、最期の数日間、病院に泊まりこまなかったんだろう。
看護師さんからは、泊まっていいですよ、夜に痛みでおつらそうです(暗に泊まってあげて、と)、と言われていたのに。
という、ほんの少しの努力で実現できた後悔が、最も心をえぐります。
母の容態が悪化したのは、ちょうど、ロースクールの学年末試験が終わった直後のころでした。
行こうと思えば、行けたのに。
なのに、行かなかった。
私は、逃げたのです。
死を迎えようとする母の恐怖を、支えるのではなく、逃げました。
私が、弱かったから。昼間のモルヒネで朦朧とした母を見るだけでも、母の命がいよいよ失われつつあるのが、怖くて、怖くて、逃げたのです。
昼間の見舞いに行って、自分の罪悪感を払拭したつもりが、単に、お茶を濁していただけに過ぎませんでした。
実は、このことは、長い間、忘れていました。
思い出しても、罪悪感を自分で受け止めることができるほど成長したから、今、記憶が甦ってきたのがもしれません。
これほど強い罪悪感を感じるのは、母への愛情が本当に深かったから。
嫌悪すべき弱くて幼くて怖がりだった自分を、今、好きにはなれないけど何とか受け止められるのは、罪悪感は愛の発露だと知っているからかもしれません。
だから、ほんの少しだけ、自分を許してもいいのかもしれない。
お母さん。ありがとう。
お母さんと一緒に生きて、ホント最高に楽しかったです。
いやはや。罪悪感って、本当に心の奥底に隠れているのね。
●たぶんこの本の影響。
●シリーズ
☆私の半生 ①自然の中の原風景と父の死
☆私の半生 ②普通になりたかった青春時代。
☆私の半生 ③離婚、そしてがむしゃらへ。
☆私の半生 ④ロースクール受験を決意(前編) 崖っぷち!
☆私の半生 ⑤ロースクール受験を決意(後編) 母を助けられなかった。
☆私の半生 ⑥ロースクール入学、母の死
☆私の半生 ⑦合格、そして弁護士になる。