小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

私が子どもを持たなかった意味は。

皆さま、こんにちは!愛し合っていますか?

 

今日、事務所に行く道すがら、私が子どもを持たなかった理由について、ふと思いつきました。

センシティブな話題なので、読みたくない方は読まないで下さいね。

 

そもそも、私は、実は、心底子どもが欲しいと思ったことがありません。

「えー、本当に?」と自分で自分を疑い、何度も自分に問いかけ、深堀りしましたが、子どもは好きですし結構好かれる方ですが(笑)、やっぱり、欲しいと思わなかったのです。もし本当に本気で産みたいと思っていたら、私のことだから、弁護士になった40手前でめちゃめちゃ婚活をしたと思うんですが、現実はそうではなかった。

 

今日、思ったのは、そもそも家族が欲しいと望んでいたわりに、家族を欲していなかったからではないか、ということでした。

 

私は、10歳の時に父が亡くなり、33歳の時に母が亡くなりました。平均よりは早い時期に両親との別れを経験しました。母が亡くなる前の31歳で、離婚をしました。

 

実は、20代の頃には「子どもを持つのが怖い」という思いがあり、婚約期間中に、元夫にそのことを話したことがあります。話した、というより、どちらかというと急に私が泣き出して取り乱したという感じでした。

今思うと、子ども問題については、そのころから私のテーマだったのだと思います。

 

その20代の時の気持ちを、一言で言えば、

私は、子どもに、自分と同じ気持ちを味合わせたくなかった。親を亡くす喪失感、そこから生じる人生の課題を味合わせたくなかったのです。つら過ぎたから。

 

順番から言えば親が先に亡くなるのは当たり前だし、それができてむしろ良かったんですけれど(弁護士になってから、お子さんを亡くされたクライアントさんの深い悲しみに接してそう思いました。)。私がそれを経験した時期は少しばかり早過ぎて、自分が意識していた以上に、深い傷となっていたようです。

 

その後、私は、元夫と離婚し、実家に戻り、ほどなくして、母を亡くしました。

この時には、もう、親が先に逝くこと自体への抵抗はありませんでしたが(もちろん早過ぎるという思いはありましたが)、一人ぼっちになってしまった、という思いが私の心に強く強く刻み込まれ、それは長らく消えませんでした。

あ、弟はいますけれど。。忘れてるわけじゃないのよ(笑)

 

それから、家族が欲しい、欲しいと心の中で思いながら、時に叫びとなりながら、

他方で、家族を持つことへの恐怖心が、深いところであったようです。

 

「家族を持つことは、家族を喪失すること、看取ること」

という観念があったためです。

逆に、自分が死ぬ時、あの痛みと孤独を、愛する人や子どもに味合わせたくない、そうも思ったのです。

 

失くすのを恐れて幸せを選ばないのはばかげている、と言ってくれた人もいました。

確かに、そのとおりなのです。でも、当時の私には、無理だった。幸せであればあるほど、失った時の悲しみは大きい、幸せになるのは怖すぎる、と思っていました。

 

その後、それでも、幸せを選ぼう、自分の痛みを引き受けよう、と思うようになりました。

ただ、自分が看取るという覚悟を引き受けたとしても、人に引き受けさせる覚悟はできませんでした。

だから、自分が相手を看取りたくて(結婚もしてないのに(笑))、勝手に背負おうとして、パートナーとの関係性がおかしくなり、その彼とは上手くいきませんでした。それだけが理由ではありませんでしたが。

 

そんな折、私は、猫たちと暮らし始めました。

生き物と毎日一緒に暮らすのは、母が亡くなって以来、初めてでした。

人によっては簡単なことなのかもしれませんが、私にとっては、結構大きな決心が必要でした。

猫は、人間より寿命が短いです。愛せば愛するほど、喪失の悲しみはきっと大きい。それは怖い。

 

でも、私は、猫を喪失することを引き受けました。

 

猫と暮らすのはとても幸せで、私にとっては、家族ができたも同然です。

 

小心者の私は、いざ何かあったとしても傷が最小限で済むように、猫が私より先に亡くなることを何度もイメトレし、もし私が突然死した時のイメトレもしていました。そのたびに泣いて、アホだなあ自分、と思いつつ(笑)

 

最初のうちは、猫のことを溺愛し過ぎて(笑)、猫の異食癖に気が付いて気が気ではなくなって動揺したりしました。

でも、そのうち、もし、猫が亡くなっても、それはこの子の寿命なんだ、この子が決めてきていることなんだ、と受け容れるようになりました。もちろん異食しないように物をしまうなど、注意を払ってはいます。

 

そう、東洋思想等にある「生物は寿命を決めてこの世にやってくる」という概念を受け容れることにしたのです。

 

そうして過ごしているうち、話が飛躍するようですが、今日、「この喪失感は私だけのものなんだ。」ということが急に腑に落ちました。

 

人のものじゃないのです。 自分以外の人にはその人にしか分からない喪失感がある。

つまり、もし、猫たちが亡くなっても、私は、これまでどおり大丈夫だし、

逆に、私に何かがあっても、猫たちはきっと大丈夫だ、と分かったのです。

 

人間に敷衍すれば、もし私にパートナーや子どもがいて、誰かが先に亡くなっても、

私は大丈夫だ

パートナーも大丈夫だ

と、思ったのです。

 

それが、信頼するってことだな、と思いました。

 

でも、これまで私が家族を持つことを遠ざけてきたことも、全く無意味ではなくて、むしろ自分の愛情深さゆえだったのだなあ、と自画自賛(笑)しました。

 

このことを知るために、私はこれまで子どもを持たなかったんだなあ、とも思いました。

とはいえ、それで今の人生に後悔はないので、ご心配は無用ですよん。念のため。


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