行動すると、発見があり、その発見から観念を書き換えて、制限が外れ、それまでの自分を超えられる。
という話を書きました。
超えるというか、或いは、本当の自分に戻っていくことなのかもしれません。
今朝また、ふと、私の中の1つの観念に気がつきました。
「約束は、守らなければならない。」
え、当たり前でしょ?何言ってるの?と思ったそこのあなた。
そうでしょ。
私も、そう思っていた。
ていうか、今も、基本的にはそう思っています。
しかし、世の中には、約束を守らない人がたくさんいます。
代金を支払わない、借りたお金を返さない、土地の境界を越えて勝手に人の土地を占拠する、婚姻外恋愛をする、交通ルールを破る、人のものを盗む、人を殺す・・・。
弁護士の仕事は、約束を破られた人と破った人の争いの代理人(刑事事件では弁護人)となって、紛争解決をすること、
それから、契約段階や企業統治に関与したりアドバイスをするなどして、紛争を未然に防止すること。
なので、約束を破る人と破られた人をたくさん見てきて、私の場合、刑事事件は別として、民事では主には破られた人の側に立って、怒りまくってきました。今もしょっちゅう怒ってます(笑)
私は、正義感が強いし、おまけに律儀で、くそ真面目なところがあります。
昭和の生真面目な両親に育てられ、「約束は守らなければならない。」という教えは、当たり前だと思っていました。
例え、相手が約束を破っても、自分は破らない。
それが自分の矜持だと思っていました。
私にとっての離婚の最大の原因は、元夫が私とした1年越しの約束を、「そんな約束したっけ?」と言ったことでした。
私は、それを、とぼけるな!と怒りに怒り、不誠実だと詰り、許しませんでした。
が。
あえて言います。
約束は、原則として守るべきものだが、必ずしも守らなければならないわけではない。
人の気持ちは、変わる。
私だって、皆の前で誓った、この人と一生添い遂げますという約束を、破った。
今なら、元夫が、約束を忘れた(ふりをした?)のも、彼なりの愛情だったと分かっている。
そう。
約束は、守れないことも、あるのです。
「守るべき」を緩めることができると、人も自分も許すことができる。