小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

母が恋しい。いい歳していても、何年経っていても、恋しいものは恋しいのだ。

今日、オムカレーを食べながら、ふと思った。

 

うちの猫たちが

イタズラしても、

トイレットペーパーを全部引き出しても、

カーテンやニットをぼろぼろにしても、

壁で爪とぎしても、

お腹の上にジャンプしてきても(これはハナちゃんだけ笑)、

粗相しても(これもハナちゃんだけ笑)、

私のお出かけ妨害大作戦を決行しても、

 

私は猫たちのことを大好きなのは変わらないように、

きっと、私の両親も、私が良い子じゃなくても迷惑かけても、許してくれてたんだろうなあ。と。 

 

思い返せば、父も母も、私のことを最終的には全部許してくれていたし、愛してくれていた。殊に母などは、酔っ払って、30歳近くもなる私と弟に「愛してるよ~♪」などとよく言っていたし、ハグというか抱きついてきたりした。私も酔っ払って抱きつくことがあったけど(笑)

それなのに、こういう風に(私が良い子じゃなくても迷惑かけても、許してくれてたんだろうなあ。)と若干母からの愛に自信がない感じで思ったのは、

14年前に母がこの世を去ってあと当分の間(私があっちに行くまでの間)は会えなくなって、自分の内側を見つめるうちにだんだんと本当に母に愛されていたのか自信がなくなったりして、どうせ弟の方がかわいいんでしょ、なんて拗ねていた方が「かわいそうな私」に拍車をかけることができて自分を責めるのに都合が良い時もあったりして、そんなに愛されていなかったということにしておいた方が寂しさを感じなくて済むという姑息な潜在的計算もあったりして、母からの愛を受け取ることに、腰が引けていたんだと思う。

 

本当は、何よりも欲しかったのに。

受け取ってしまうと、母が恋しくなってしまうから、一部分だけ受け取って、残りは受取拒否をしていた。

 

でも、自分の本音を見ると。

もう、母が恋しくて、恋しくて、仕方がないのだ。

だって、どんな私でも、いつも無償の愛をくれたんだもの。命がけで、私と弟を愛してくれた、唯一無二の人なんだもの。

 

そんなことをもういい大人なのに言うなんて恥ずかしい、もう15年も経とうとしているのにまだこだわっているの、これまでさんざん両親やその死と向き合ってきたでしょ、その話をし過ぎで引かれたらどうするの、みんな人の死の話なんて聞きたくないんだから、もう立ち直ったってことにしておきなさいよ、という声が、頭の中でする。

「確かに若くして亡くなったのは気の毒だけど、もし生きていらしたら、そろそろ介護の問題が出てきたりして大変よ。そう考えたら、ラッキーかもしれないわよ。」優しさからそう言われて、何も言えなくなったこともある。そして、現に、介護で大変な思いをしている人たちもいる。

母親が生きていても、何らかの事情で会えない人、関係が上手くいっていなくて会いたくない人もいる。私より、もっと早く母親を亡くした人もいる。私が母が恋しい、というのは、愛されていた、っていう自慢みたいに見えて、そうした人たちを傷つけるんじゃないか、とも思った。

 

でも。それでも。

私は、母が、恋しい。

 

もっと長生きして欲しかった。弁護士になったって知らせて喜んで欲しかったし、周り中に「うちの娘が弁護士になったのよ~」って浮かれて言って、親バカ全開にさせてあげたかった。

美味しいものも、旅行も、もっと一緒に味わいたかった。

仕事が超大変でツラすぎてもう辞めたい、って愚痴りたかった。

私の仕事を手伝ってもらって、美味しいお茶をお客さんに出して欲しかったし、Accessを駆使して完璧なデータベースを作って欲しかった。趣味の良い贈り物を選んで欲しかった。経理もちゃちゃっとやって欲しかった。生涯現役でいて欲しかった。

猫たちを可愛がって欲しかった。

一緒に禁煙したり、禁酒したり、運動したりしたかった。

私の恋の話を、聞いて欲しかった。

面倒を見させて欲しかった。

 

甘えたかったし、甘えさせてあげたかった。


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どうしようもないことだし、人は最期は一人だし、自分もあっちに行けば会えるんだから。

そんなことは、分かってる。百も承知だ。

親に癒着し過ぎている、もし本当に生きていたら関係性が大変だったかもしれない。

そんなことも、分かっている。

 

ただ、ただ、母が恋しいのだ。

そんな日もあるし、そんな思いがあってもいい。

 

生前、母が、伯母(母の姉)と叔母(妹)と、「お母さんが恋しいねえ。」という話をしていたのを、聞いたことがある。あの時、母は、いくつだっただろう。私と同じくらいだったか、もう少し若かったかもしれない。

まだ若かった私は、「へええ、そんなもんなんだ。」と驚いたけれど、今の私には彼女達の気持ちがよく分かる。

 

母が亡くなる直前の深夜、病室で、私たちは、最期のお別れの言葉をめいめいに言っていた。

私は、これまで育ててくれたお礼とともに(弁護士になるからね、と言ったかどうかは覚えていない・・・(笑))、

私が子どもを産んだら、母が私にしてくれたように、愛情たっぷりに育てるから。

と言った。

母の閉じた眼から、涙が一筋こぼれた。

 

結局、私は、子どもを産むことはなかったけれど、猫たちを育てて、一緒に暮らして、少し、母との約束を守れたような気がしている。

 

そして、母がどんな私も受け容れてくれたように、私も、自分と、愛する人がまたできたらその人に、そうしてあげようと思う。

 

ああ、母が恋しい。

 

 

でも、これだけたくさん心の叫びを書いたら、スッキリした(笑)

 

 

●母についてシリーズ。この時はちょっとカッコつけていた笑

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