小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

父のことも、書かねばなるまい。 ②



さらに続きを書かねばなるまい(笑)

 

父が早逝し、その後、母が、専業主婦から会社員に復帰して私と弟を育ててくれました。

母は、仕事が好きな人だったので結果的には会社員生活の大半を楽しんでいましたが、やはり当初3年くらいは辛かったそうです。

また、晩年も、不本意な形で退職することとなりました。

 

今の時代、かつ、今の法曹資格を持っている私から見ると、母にもっと自由に生きて欲しかったしその才能もあっただろうに、と思ってしまうのですが、

 

そのときは、それがベストだったんですよね。

 

昔は、私がいなければ母は自由に再婚できたんじゃないか、とか、私たちを育てるために母は文字通り命を削ってしまった、とか、罪悪感満載だったのですが、今は、そこまでは思いません。

 

そうやって、罪悪感で自分を縛って自分を幸せにしないことは、もちろん母も望んでないし、私にとっては、本当に望む人生を生きる幸せへの恐れから逃れる言い訳に母を使ってるだけだな、と思うから。

 

・・・ていうか、テーマは父の話!!!

脱線すみません。

 

で、母の苦労を目の前で見てきたし、私は同じ女子のため母からよく仕事にまつわるエトセトラを聞いていたし(愚痴だけでなく会社組織において自分の存在意義を打ち出す方法や歳を重ねた一般職女子社員のサバイバル方法等も)、そうすると、亡くなった父に対して、いつの間にか思っていたわけですよ。

 

【父は、肝心な時に助けてくれない。役に立たない。】

 

って。もちろん、普段はそんなこと思ってないんですが。

そして、その後、恋愛や結婚や仕事で、自分がツラい目に遭ったときに男性が助けてくれないことがあると、

【やっぱり、男は肝心な時に助けてくれない。】

と、父→男性に思い込みの適用範囲を拡大した上に、思い込みの強度もより頑丈にしてしまっていました。

 

役に立たない、って男性からすると女性に言われたくない言葉ナンバーワンだと聞くのですが、心の奥底で無意識的にせよそんな呪詛を呟いていたのですから、結婚や恋愛が上手くいくはずもないし、仕事でも今は自分の上司がいないことで責任を重く感じる一方で、随分と楽な気持ちもあるんですよね。

あ、元ボスにはたくさん助けて頂いたし足を向けて寝られないくらい感謝しています!本当に。本当よ!(言えば言うほどうさんくさくなるやつ)

 

一方で、前回書いたように、私は、父からたくさんの愛情を貰って育ったので、日常の範囲では、自分で言うのもなんですが、男の人から可愛がられることが多かったのです。

なので、

【男の人は、私に優しい。】

という、思い込みも持っているのです。

 

この2つの思い込みを私のなかで矛盾なく成立させるために、

 

【男の人は、私に優しい。】

ただし、【肝心な時に助けてくれない。役に立たない。】

 

となっていたわけです。法律っぽいな(笑)


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この但書きは、もう要らないなあ。

手放したい。

と、ここ4年ほど、何度も何度も、手放しにトライしてきました。

手放しても手放しても、頑固な汚れのように、或いはこんこんと湧き出る泉のように、この但書きは、軽くはなりつつも、私のなかに在り続けました。

「ほら。やっぱり、助けてくれない!」と思う新たな現象も、起きました。

 

逆説的ですが、手放しきれなかったのは、きっと、【肝心な時に助けてくれない】と思い込むことが、私にはまだまだ必要だったからなんでしょうね。

 

なぜなら、私には、

 

【男性も、女性を助けられないほど、傷ついている、疲弊している時がある。】

 

ということを理解する必要があったから。

 

私のなかの、父ひいては男性に対する【助けて】という思いって、本当に、ファンタジー的というか、ピーチ姫がマリオにお城の中から言ってるみたいな感覚だったんです。

それは、対父親(男性)では、私の心はずっと10歳のままだったから。

 

小さな子どもにとっての親ってパーフェクトな存在に近いじゃないですか。「パパ、助けて!」って言えば、いつ何時も必ず助けてくれる。そんな風に信じて疑わなかった。

でも、思春期を経て大人になるにつれ、親の欠点も見て、親も人間だったと分かり、自分の不完全さも親の不完全さも許して大人になっていく。

私の場合、母に対してはこのプロセスがありましたが、父に対しては、頭では理解していたものの、体感不足で、スーパーマンの父と居なくなってしまった父の極端な父親像しかなく、等身大の大人の男性としての父親像が存在しなかったのでした。

 

だから、男の人が、私のピンチの時に、助けて!と言っても助けてくれないことが理解できず、ときにはその理解不足が原因で関係を破壊していました。

 

【男性も、女性を助けられないほど、傷ついている、疲弊している時がある。】

 

男性にとって、大切な女性を助けられないことは、私たち女性が大切な男性を理解し受容できず笑顔になれないことと同じくらい、ツラいこと。

男性がそんな助けられない状態である時には、女性もとても大変だけれども(特に私なんて滅多に助けてと言わないので)、自分で何とかする、たくさんの人の手を借りる、

そして、まずは自分を立て直す。

相手の力を信頼しながら。

 

 

自宅おこもりと、雪。

 

自分に向き合うには最適な日となりそうです。

 

【肝心な時に助けてくれない。役に立たない。】

という観念の手放しに、またトライしてみようと思います。

 

実は、先日、我らが根本裕幸師匠の新刊『「もう傷つきたくない」あなたが執着を手放して「幸せ」になる本』を頂戴しまして、早速読了し、本を読みながら別テーマで手放しワークをしたところ、先週の怒濤の父母ネタ記事投稿と相成りました。

うへーー、また両親かあああ、とウンザリしましたが、結局のところ、それくらい好きなんだな!マザコンファザコンなんだな!ということですね(笑)

 

●続く。。