小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

言葉シリーズ⑮ ゆるい自分を出す。



「ゆるい(緩い・弛い)自分を出す。」

 

私は、本来テキトーな性格なのですが(だからちゃんとやろうとするとできてしまう。逆説的ですが。)、

弁護士の仕事では、長らく、自分で自分に、ちゃんとしなきゃ!というプレッシャーをかけていました。

肩凝って、首も凝って、身体にもコリができてしまっていました。

 

なので、ちゃんとできなかった時には、その罪悪感から逆ギレ気味に、

 

だって忙しいんだから仕方ないじゃん!

そんなに体力ないし!

そんなに全部できない!

できないもんはできない!!

どうせ無能ですから!

 

みたいに自分のことを正当化していました。

 

うん。

ただ、正当化が悪いっていうわけではなくて(ここで正当化を悪者にすると、今度は体育会的根性論でひたすら頑張ることになる)。

ちゃんとできなかった自分を責める気持ちも、それがツラくて外的要因を責める気持ちも、自分だから。

 

今、思うのは、

単に、ゆるくていいところはゆるくていいんだな、ということです。

 

 

ベテラン弁護士は、そのあたりの緩急が絶妙な先生も多い。

それはおそらく、経験上緩急の見極めができるから。ある程度ゆるくても、このケースは紛争にならない、万が一なったとしても十分合理的な理由があり大火傷はしない、かえってガチガチに堅くやる方がデメリットが多い、という見極め。

そして最終的には責任を取る、と腹を括っているから。

 

このゆるくできる幅は、ある意味、その人の器だと思う。

経験を重ねて大きかったり複雑だったり色んな意味で困難な案件に取り組むほど、器は拡がる。

 

最近、私も、11年目にして、この器が拡がりつつあるなあと思う。

 

ゆるくて、いいのですよ。

必需なところをちゃんとしていれば。

 

ゆるんだ時こそ、頭の中で思考がお休みしてインスピレーションは降りてくるし、自分の心身の流れも良好で健康だと感じられます。

 

こうしたことは頭で理解はしていたけれど、長らく、自分は弁護士だから人の「ちゃんと」を引き受けなければならない、報酬は「ちゃんと」の対価だから、と思っていました。

 

確かに、そういう側面はある。

でも、それだけじゃないよねえ。

ゆるい私を知った上で、私だからいいんだ、というクライアント様たちがいて下さるのです。

 

私がずっとちゃんとしていたら、クライアント様も緊張して、仕事にプライベートに良いパフォーマンスができないですし。

 

何より、ずっとちゃんとするのは自分がしんどいし。

 

これまで以上に、ゆるい自分でいこうと思います!

これ以上ゆるくなるの?という一部の友人たちの声は無視します!!笑


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