小川正美 人生はホントの自分に戻る旅。

普通の会社員から離婚して無職になり一念発起、弁護士になった私の半生とこれからのライフワークを綴ります。

女であることに蓋をする癖がついたのは。

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女であることに蓋をする癖がついたのは、いつの頃からだっただろう。

 

私は、小学校に上がる前まで、うちの近所には男の子しかいなかったので、友達と言えば男の子だった。母方は、従兄弟も男の子、うちも弟がいて女の子は私だけだったので、親戚から姫として可愛がられた。

父も、私を溺愛していた。

  

まだ、幼稚園に入る前、大人たちが話をしていたことを覚えている。

「この子は、大人の男の人が苦手なんだよね。」

その時、ああ、確かに、父親以外の大人の男の人は苦手だわ、と思った。

 

幼稚園の頃、母と祖母か伯母か近所の母の友人だかが、私のことについて話をしていたことを覚えている。

「この子は、大人みたいな色気がある。」

その時の言葉尻に含まれた少し批判的な空気を読んで、ああ、そうなんだ、それは隠さなきゃ、と思ったことを覚えている。

 

こうした言葉を聞いて、子ども心に、何となく、ではあるけれど、女として可愛がられることは、同性を不愉快にさせるのかもしれない、と、心のどこかで思った。

 

いたずらや露出狂や痴漢に、何度か遭った。大人だけではなく、同世代の少年もいた。

「女児や女子学生がそういう目に遭うのはよくあること」「幸い、酷い被害には遭わなかった」「私に隙があった」

そういう風に思って、何なら露出狂や痴漢などは大人になってからの笑いのネタになった。

本当はとても怖かった、という気持ちには、蓋をした。

 

社会に出てから、セクハラに遭った。最初は地方でのこと、それから離婚して非正規雇用で働いてからは、東京に勤務していたけれど、もっと多くのセクハラに遭った。

理不尽さや男性優位社会への絶望や弱い立場の者に攻撃(私からすれば、男性たちが自分の抑圧した感情を性欲という形で投げつけてくるのは攻撃も同然だった)をする男性の狡さに怒りを覚えた。

本当はとても怖かった、という気持ちには、蓋をした。

 

女の先生や女性上司やあまりよく知らない女性の同僚から、理由が分からないけれど冷たくされたり変な噂を流されることがよくあった。

これは、怖くて仕方がなかった。

彼女らが私に苛立っている様子に怯えて、ついつい媚びるような言動をしてしまったりして、ますます変な空気になることもあった。

 

ただ、私は女友達が多いので、学校を卒業した後は所属コミュニティが複数あることもあり、そこまで問題視はしてこなかった。

女性らしさを追求しつつも、反感を買わない明るい面白キャラ、ほのぼのキャラ、男らしいキャラ等を、誤解を恐れずに言えば演じてきたから(ここは説明が難しいのだが、この部分は100%演技ではなく、私の本質でもある)、ほとんどの女性たちから好かれる自信はあった。

 

ここで、話が変わるが、

私の母は、四人きょうだいの次女であったが長女的な役割を背負っていた人だった。祖父(母の父)が亡くなってからは特に、家事全般をすることになり、姉である伯母に掃除が完璧にできていないと怒られたことが辛くてトラウマになっていて、今でも掃除は嫌いだ、とずっと言っていた。「掃除しなくたって死なないもんね~」と明るく笑う人ではあったけれど、伯母から怒られた話をして、時に涙を見せることもあった。

大人になっても、母は、祖母の法事や叔父のこと等の対外的なことを仕切っていた。

明るい肝っ玉母ちゃんのキャラクターでいながらも、繊細で人の問題を背負ってしまう苦労性な要素を隠しきれない人だった。

 

つい最近までの私と、とても似ている人だった。

いや、私が、母に、自分を寄せていたのだ。それが、私なりの、母への愛だと思っていたから。

 

私は、晩年の母に愛されていたと確信しているけれども、少なくとも私が幼少の頃には、私は母から疎まれていたと思う。

もちろんそんな風になんて思いたくないから、ずっと蓋をしていたけれど、そう考えると辻褄が合うことがとても多い。

 

「パパはあんたのためだったら何でもした」というエピソードを繰り返し聞かされたこと(これは、父の愛を伝えるためだったのかもしれないが)。

思春期くらいまでは「あんたはワガママだ、自分勝手だ」「優しくない」とよく言われたこと。私も、これに呼応して、「どうせ弟の方がかわいいんでしょ!」と何度も言ったこと(ワガママはともかく優しくないは傷ついた)。

子どもがよくやる遊びで、母の口紅を使った時、とても怒られたこと。

中学生の頃に、ボーイフレンドに渡す手紙(そういうのが流行っていたの(笑))を母に勝手に読まれて、しかもダメ出しされたこと(これはひどい、笑)。

私が高校生くらいのころから、母はPHP社の雑誌や加藤諦三先生の書籍を読み出し、自分に向き合っていたようで、その後、母が私にとても優しくなり、愛情表現も過剰なくらい(笑)するようになったこと。

 

私は、子どもの頃から女性の世界が苦手で、学校はずっと共学を選択してきたし、女友達も外見は女性らしくても(自慢じゃないが美人が多い!)、中身は男らしい人がずっと多かった。文学部にも行きたかったのに、女性がたくさんいて怖いから法学部を選択したくらいだ。

 

母に疎まれていた、と、心の深層、潜在意識で、感じていたのだろうと思う。

 

またしても話が飛躍するが、

或いは。いや、加えて。

私は、父が亡くなって以来、母が父親の役割も母親の役割も両方を担ってきてくれたことに、報いたかったのかもしれない。

自分が女であることを、一部、諦めても。

 

だから、母の考えをインストールして母のように生きること、弁護士になって母よりもっと社会的に強い立場で生きること、母を一人にしないこと(離婚を選択したのはもしかしたらそうだったかもしれないと思うことがある)、

そうすれば、母の愛や望みに応えることができる、と思ったのかもしれない。

母は、決して、男の人から愛されない女性ではなく、父にも、父が亡くなった後にも愛されていたにもかかわらず、私の中で、勝手に母を「女性としてかわいそうな人」にしてしまった。

 

こうした生き方の反動で、

私は、葛藤もなく素直に女として生きて、何の苦も無く愛されているように見える女性(私からはそのように見える女性)に対して、嫉妬を覚えた。

自立的に生きてきた女性には、共感して頂けるかと思う。

 

「私はこんなに苦労してるのに、好き勝手して愛されて、いったい何なの!」という感情。

かつて母が、伯母に対して、私に対して、会社の後輩に対して、味わった感情。

 

それを、私も、若いときから長いこと、味わった。

 

正直に言うと、うちの猫のハナちゃん(女子)に対して、私は、つい最近まで、似たような感情を抱いていた。言ったら世間体が悪いと思っていたので言わなかったけれど(笑)、断然男子のコテちゃんの方がかわいいと思っていた。

虐待の連鎖ではないが、現象としては同様の負の連鎖である(笑)

 

そうした気持ちが伝わっていたのか、ハナちゃんは、粗相をしたり、いたずらをしたり、コテちゃんを押しのけて私の近くに来たりして、私を困らせた。

 

でも、ある時、気が付いた。

このハナちゃんの姿は、かつての、幼少期の私の姿だと。

 

お母さん、愛してよ、私、ここにいるよ、私のことは好きじゃないの?

 

上手な言葉にはできず、そう語り続けた小さな私。

 

そこに気が付いたら、ハナちゃんのことが、愛おしくて仕方がなくなった。冷たくしてはいけない、と思っていたけれど、動物相手に感情を隠すなど無理なこと。きっと、ハナちゃんには、伝わっていたと思う。

 

ハナちゃんのことを、コテちゃんと同じくらいに愛おしいと思うようになってから、ハナちゃんが粗相をすることはなくなった。

 

私の、女であることへの蓋が、外れた瞬間だったかもしれない。


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